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九条房実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
九条房実
天子摂関御影』九条房実(後一音院関白)
時代 鎌倉時代後期
生誕 正応3年(1290年
死没 嘉暦2年3月13日1327年4月5日
別名 後一音院関白
官位 従一位関白左大臣
主君 後伏見天皇後二条天皇花園天皇後醍醐天皇
氏族 九条家
父母 父:九条忠教、母:藤原有時の娘
養父:九条師教
兄弟 師教房実基教、尊覚、教寛、覚恵、禖子
二条治子(二条兼基の娘)
養子:道教孝覚
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九条 房実(くじょう ふさざね)は、鎌倉時代後期の公卿関白九条忠教の子。官位従一位・関白。九条家8代当主。後一音院関白と号す。

経歴

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兄・九条師教の養子となり九条家を継ぐ。正安元年12月(1300年1月)元服し、従五位上侍従に叙任。翌年には従四位下右近衛中将に叙任。同年中に正四位下に進む。正安3年(1302年)正月に従三位に叙され公卿に列す。10月には正三位に叙される。

嘉元3年(1305年備後権守を務め、12月に権中納言、嘉元4年(1306年従二位に陞叙される。徳治2年(1307年権大納言、翌年正二位文保2年12月(1319年1月)右近衛大将。元応元年(1319年)左近衛大将を経て、右大臣に任ぜられる。元亨2年(1322年)皇太子傅となり、同年左大臣。元亨3年(1323年)関白となり、藤原氏長者、従一位となる。翌年関白を辞し、嘉暦2年3月13日に薨去。享年38。

官歴

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  • 正安元年12月19日(1300年1月11日):従五位上、禁色、昇殿、元服 12月30日:侍従[1]
  • 正安2年(1301年)正月5日:従四位下 3月6日:右近衛中将 5月24日:正四位下
  • 正安3年(1302年)正月5日:従三位(右中将如元) 10月18日:正三位
  • 嘉元3年(1305年)正月22日:備後権守 12月30日(1306年1月15日):権中納言
  • 嘉元4年(1306年)4月14日:従二位
  • 徳治2年(1307年)11月1日:権大納言
  • 徳治3年(1308年)9月17日:正二位
  • 文保2年12月10日(1319年1月2日):右近衛大将(右大臣今日辞退替)
  • 元応元年(1319年)6月14日:左近衛大将 7月28日:右大臣 8月21日:止大将
  • 元亨2年(1322年)4月5日:皇太子傅 8月11日:左大臣
  • 元亨3年(1323年)3月29日:関白、藤原氏長者 12月15日(1324年1月12日):従一位

系譜

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脚注

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  1. ^ 以下『公卿補任