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九条道教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
九条道教
時代 鎌倉時代後期 - 南北朝時代北朝
生誕 正和4年(1315年
死没 貞和5年7月6日1349年8月20日
改名 道教→圓恵(法名)
官位 従一位関白左大臣
主君 後醍醐天皇光厳天皇後醍醐天皇光明天皇
益仁親王(東宮職)
氏族 九条家
父母 父:九条師教、母:守良親王の娘
養父:九条房実
兄弟 道教、覚尊、孝覚
正室:大宮季衡の娘
孝尊、養子:経教
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九条 道教(くじょう みちのり)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿摂政九条師教の子。九条房実の養子。

官位従一位関白左大臣九条家9代当主。

正中2年非参議嘉暦2年兄房実の死により九条家を継承し、康永元/興国3年関白氏長者となる。道教の生きた時代は南北朝の内乱期に当たり、建武3/延元元年入京間もない足利尊氏より、家領の所有を認められていることが示すように、北朝方公家としての立場をとっていた。貞和2/正平元年出家、法名円恵。没後、三縁院殿と称される。

官職歴

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  • 元亨3年12月29日(1324年1月26日) - ? 侍従
  • 元亨4年正月13日(1324年2月8日) - 嘉暦2年11月10日(1327年12月23日) 右近衛中将
  • 正中3年2月19日(1326年3月23日) - 嘉暦2年11月10日(1327年12月23日) 伊予権守
  • 嘉暦2年11月10日(1327年12月23日) - 嘉暦3年3月16日(1328年4月26日) 権中納言
  • 嘉暦3年3月16日(1328年4月26日) - 建武4年7月12日(1337年8月8日) 権大納言
  • 元徳2年3月22日(1330年4月10日) - 延元元年3月2日(1336年4月13日) 右近衛大将
  • 延元元年3月2日(1336年4月13日) - 暦応元年8月30日(1338年10月13日) 左近衛大将
  • 建武4年7月12日(1337年8月8日) - 暦応2年12月27日(1340年1月26日) 右大臣
  • 建武5年8月13日(1338年9月26日) - 暦応5年3月30日(1342年5月5日) 皇太子傅益仁親王
  • 暦応2年12月27日(1340年1月26日) - 康永元年11月1日(1342年11月29日) 左大臣
  • 暦応5年正月27日(1342年3月4日) - 康永元年11月12日(1342年12月10日) 関白

位階歴

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  • 元亨3年12月22日(1324年1月19日) 正五位下
  • 元亨4年正月5日(1324年1月31日) 従四位下
  • 元亨4年4月27日(1324年5月20日) 正四位下
  • 正中2年正月29日(1325年2月13日) 従三位
  • 嘉暦3年正月5日(1328年2月16日) 正三位
  • 元徳2年正月5日(1330年1月24日) 従二位
  • 元弘元年12月9日(1332年1月7日) 正二位
  • 正慶2年5月17日(1333年6月29日) 従二位
  • 元弘4年正月5日(1334年2月9日) 正二位
  • 康永元年11月8日(1342年12月6日) 従一位

系譜

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参考文献

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公職
先代
一条経通
関白北朝
1342
次代
鷹司師平
先代
一条経通
左大臣(北朝)
1340 - 1342
次代
洞院公賢
先代
一条経通
皇太子傅益仁親王
1338 - 1342
次代
二条良基
先代
洞院公賢
右大臣(北朝)
1337 - 1340
次代
鷹司師平
軍職
先代
一条経通
左近衛大将(北朝)
1336 - 1338
次代
二条良基
先代
洞院公賢
右近衛大将(分裂前→北朝)
1330 - 1336
次代
鷹司師平