大炊御門信量
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時代 | 室町時代中期 - 後期 |
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生誕 | 嘉吉2年(1442年) |
死没 | 長享元年8月4日(1487年8月22日) |
別名 | 号:深草 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 後花園天皇→後土御門天皇 |
氏族 | 三条家→大炊御門家 |
父母 | 父:三条実量、養父:大炊御門信宗 |
兄弟 |
三条公敦、信量、公顕、公助、宗一、冬子、水無瀬季兼室 養兄弟:信子 |
妻 | 正親町持季[1]の娘 |
子 | 経名 |
大炊御門 信量(おおいのみかど のぶかず)は、室町時代中期から後期にかけての公卿。左大臣・三条実量の子。官位は従一位・右大臣。大炊御門家15代当主。後花園天皇(102代)と後土御門天皇(103代)の二帝に仕えた。
経歴
[編集]長禄元年(1457年)に従三位となり、公卿に列する。以降累進して、権中納言・権大納言・右近衛大将・左近衛大将を経て、文明11年(1479年)に内大臣となる。翌年従一位となり、左近衛大将を辞した。文明15年(1483年)に右大臣に任じられた。