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長谷川太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
長谷川 太郎
名前
愛称 タロウ
カタカナ ハセガワ タロウ
ラテン文字 HASEGAWA TARO
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1979-08-17) 1979年8月17日(45歳)
出身地 東京都足立区
身長 167cm
体重 64kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1992-1994 日本の旗 柏レイソルジュニアユース
1995-1997 日本の旗 柏レイソルユース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2001 日本の旗 柏レイソル 19 (1)
2002 日本の旗 アルビレックス新潟 (loan) 12 (0)
2003-2007 日本の旗 ヴァンフォーレ甲府 84 (23)
2007 日本の旗 徳島ヴォルティス (loan) 23 (2)
2008 日本の旗 横浜FC 14 (0)
2009-2010 日本の旗 ギラヴァンツ北九州[注 1] 52 (9)
2011-2013 日本の旗 浦安SC[注 2]
2014 インドの旗 モハメダンSC英語版 11 (3)
通算 215 (38)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

長谷川 太郎(はせがわ たろう、1979年8月17日 - )は、東京都出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW

来歴

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柏レイソルユースから1998年にトップチームに昇格。ナビスコカップで得点を挙げるもののリーグ戦では4年間で1得点を挙げるに留まり、2002年アルビレックス新潟期限付き移籍[1]

2003年ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍[2] するも活躍できずにいた。しかし半年契約の最後のチャンスとして出場した2004年6月24日コンサドーレ札幌戦において決勝ゴールを挙げると一転契約延長となり、この年は17試合で3得点を挙げ、翌年の活躍に繋がることとなる。2005年シーズンにバレー石原克哉と3トップを築き、大ブレーク。J2でサガン鳥栖新居辰基とともに日本人ではトップとなる17得点を挙げ、昇格の立役者となった。2006年にJ1で3得点を挙げるも宇留野純茂原岳人などの加入でFW層が厚くなった甲府での出番が激減し、2007年7月に完全移籍で甲府へ加入した羽地登志晃と交換する形で徳島ヴォルティスへのレンタル移籍[3]

横浜FCを経て、2009年から2010年までギラヴァンツ北九州(2009年はニューウェーブ北九州)でプレーした。

2011年、浦安JSC/SC浦安(現:ブリオベッカ浦安)に移籍。2014年1月、海外移籍を目指し浦安を退団した[4]

2014年はインドIリーグ1部のモハメダンSC英語版に所属していた。

2014年12月31日自身のブログにて引退発表[5]

2015年より一般社団法人TREを設立。【TRE2030 Striker Project】〜2030年 みんなで育てよう! W杯得点王〜というビジョンの元、ストライカー育成を行っている。

2021年1月19日、古巣ブリオベッカ浦安のストライカーコーチに就任した[6]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 26 J 1 0 0 0 1 0 2 0
1999 J1 13 0 5 2 2 0 20 2
2000 3 0 1 0 0 0 4 0
2001 2 1 0 0 0 0 2 1
2002 新潟 22 J2 12 0 - 1 0 13 0
2003 甲府 26 4 0 - 0 0 4 0
2004 17 3 - 2 1 19 4
2005 18 44 17 - 2 1 46 18
2006 J1 17 3 2 1 1 1 20 5
2007 2 0 1 0 - 3 0
徳島 33 J2 23 2 - 2 1 25 3
2008 横浜FC 15 14 0 - 0 0 14 0
2009 北九州 28 JFL 25 9 - 0 0 25 9
2010 18 J2 27 0 - 1 0 28 0
2011 浦安 11 千葉県1部 - -
2012 関東2部 - -
2013 -
インド リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2013-14 モハメダン英語版 1部
通算 日本 J1 38 4 9 3 4 1 51 8
日本 J2 141 22 - 8 3 149 25
日本 JFL 25 9 - 0 0 25 9
日本 関東2部 -
日本 千葉県1部 -
日本 東京都1部 - -
インド 1部
総通算 204 35 9 3 11 4 225 42

その他の公式戦

脚注

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  1. ^ 2009年は「ニューウェーブ北九州」
  2. ^ 2011年は「浦安JSC」

出典

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  1. ^ 長谷川 太郎選手がアルビレックス新潟へ期限付移籍』(プレスリリース)柏レイソル、2002年1月15日。オリジナルの2003年2月22日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20030222112947/http://www.reysol.co.jp:80/news/2002011502.html2017年10月31日閲覧 
  2. ^ 長谷川 太郎選手・杉山 新選手がヴァンフォーレ甲府へ完全移籍』(プレスリリース)柏レイソル、2003年1月7日http://blog.reysol.co.jp/news/2003/006655.html2017年10月31日閲覧 
  3. ^ 長谷川太郎選手、徳島へ期限付き移籍』(プレスリリース)横浜FC、2007年7月16日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000514742017年10月31日閲覧 
  4. ^ a b c "長谷川太郎選手退団のお知らせ" (Press release). ブリオベッカ浦安. 9 January 2014. 2016年2月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年1月24日閲覧
  5. ^ 報告…感謝”. 長谷川太郎オフィシャルブログ (2014年12月31日). 2015年2月1日閲覧。
  6. ^ 長谷川太郎氏 ストライカーコーチとして契約”. ブリオベッカ浦安 (2021年1月19日). 2022年3月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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