正覚寺 (沼田市)
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正覚寺 | |
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所在地 | 群馬県沼田市鍛冶町938 |
位置 | 北緯36度38分28.9秒 東経139度2分30.2秒 / 北緯36.641361度 東経139.041722度座標: 北緯36度38分28.9秒 東経139度2分30.2秒 / 北緯36.641361度 東経139.041722度 |
山号 | 法蔵山 |
院号 | 大蓮院 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 応永13年(1406年) |
開山 | 学阿心円 |
中興年 | 天正2年(1574年) |
正式名 | 法蔵山大蓮院正覚寺 |
別称 | お観音様[1] |
文化財 | 絹本著色地蔵十王図、大蓮院殿の墓、正覚寺山門、正覚寺のコウヤマキ |
法人番号 | 8070005007183 |
正覚寺(しょうがくじ)は群馬県沼田市にある浄土宗の寺院。号は法蔵山大蓮院。本尊は阿弥陀如来[1]。
歴史
応永13年(1406年)、上野沼田氏が群馬郡小窪へ侵攻した際に同地から阿弥陀仏を持ち去り、元家臣の法蔵坊・正覚坊が阿弥陀仏を本尊として、群馬郡根岸に草庵を築いたのが始まりと伝えられており[1]、天正2年(1574年)に中興された[1]。
天正17年(1589年)、真田氏家臣で名胡桃城城代・鈴木主水が後北条氏家臣の猪俣邦憲の謀略によって城を奪われた責任を取り、当寺で自害したと伝えられている[2][3][注 1]。
慶長5年(1600年)、真田信之と袂を分かった父の真田昌幸が沼田城に立ち寄ったところ、甲冑を身に付けた信之の妻・小松姫が開門を拒み女丈夫と謳われたという逸話があるが、その後、当寺に昌幸の一行を案内し酒肴でもてなしたとも伝えられている[4]。
慶長17年(1612年)、小松姫によって寺領が与えられ現在地に移設された[1]。当寺には小松姫から寄進された伝えられる「絹本著色地蔵十王図」と、彼女の宝篋印塔が残されている[2][5][注 2]。
慶応2年(1866年)の火災により寺は焼失したが、明治6年(1873年)に再建されると、明治13年(1873年)に太田大光院から呑竜上人を勧請した[1]。
年中行事
- 正覚寺観音まつり
- 境内にある観音堂には百体観音が安置されており、毎年4月29日に行われる祭では百体観音と呑竜上人の開帳が行われる。境内や参道では植木市が行われるほか、多くの露店が立ち並ぶ[1][6]。
文化財
県指定文化財
- 絹本著色地蔵十王図[7]
市指定文化財
交通アクセス
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 10 群馬県』角川書店、1988年、512-513頁。ISBN 4-04-001100-7。
- ^ a b 平凡社地方資料センター 編『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年、298頁。ISBN 4-582-49010-7。
- ^ a b c 丸島和洋『真田一族と家臣団のすべて』KADOKAWA、2016年、163-166頁。ISBN 978-4-04-601099-5。
- ^ 笹本正治『真田氏三代―真田は日本一の兵』ミネルヴァ書房、2009年、296-297頁。ISBN 978-4-623-05444-2。
- ^ a b c “大蓮院殿の墓”. 沼田市公式ホームページ (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。
- ^ a b c “正覚寺観音まつり 【沼田市】”. ググっとぐんま公式サイト. 2017年4月22日閲覧。
- ^ “絹本著色地蔵十王図”. 沼田市公式ホームページ (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。
- ^ “正覚寺山門 附-小彫刻「亀仙人」”. 沼田市公式ホームページ (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。
- ^ “正覚寺のコウヤマキ”. 沼田市公式ホームページ (2017年4月1日). 2017年4月22日閲覧。