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犬目宿兵助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

犬目宿 兵助(いぬめじゅく へいすけ、寛政9年(1797年) - 慶応3年2月23日1867年3月28日))は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。姓は水越、名は「ひょうすけ」ともいう[1]

経歴・人物

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甲斐国犬目宿(現:山梨県上野原市)の農民[1]

天保7年(1836年)の甲州郡内騒動下和田村次左衛門と共に指導[1]。次左衛門は捕えられ獄死した[2]が、兵助は各地を流浪の末、上総木更津に隠れ、のち帰郷した[1]

墓所は上野原市にある宝勝寺[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『犬目宿兵助』 - コトバンク
  2. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『下和田村次左衛門』 - コトバンク
  3. ^ 甲州街道、犬目宿、2018年10月24日閲覧。