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犬目宿 兵助(いぬめじゅく へいすけ、寛政9年(1797年) - 慶応3年2月23日(1867年3月28日))は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。姓は水越、名は「ひょうすけ」ともいう[1]。
甲斐国犬目宿(現:山梨県上野原市)の農民[1]。
天保7年(1836年)の甲州郡内騒動を下和田村次左衛門と共に指導[1]。次左衛門は捕えられ獄死した[2]が、兵助は各地を流浪の末、上総木更津に隠れ、のち帰郷した[1]。
墓所は上野原市にある宝勝寺[3]。