犬飼秀長

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いぬかい ひでなが

犬飼秀長
生誕 生没年不詳[1]
日本の旗 日本
職業 武士山伏
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犬飼 秀長(いぬかい ひでなが、生没年不詳[1])は、日本の武士

人物[編集]

犬飼家長の息子[2]浅野長勝従姪[3]。家長が29歳で早世したため、当時3歳だった秀長は祖父の長恭の元で育てられ、15歳にして家督を相続した[2]。18歳のとき(永禄8年3月)織田信長に、天正10年に羽柴秀吉に仕えた[2]中国大返しの際、秀長の叔父にあたる浅野長政の策により、秀吉の影武者として振る舞ったと伝わる[4]。また、山崎の戦いに先駆けし、光秀の軍勢により右腕を切り落とされる[4]。この負傷により、春日井郡安井村山伏として隠居した[2]。右腕は同郡辻村に埋められ、腕塚として後年まで祀られていたが、アピタ名古屋北店となり現存しない[5]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 西春日井郡 編『西春日井郡誌』西春日井郡、1923年3月。 
  • 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0 
  • 沢井鈴一、伊藤正博『北区 歴史と文化探索トリップ』名古屋北ライオンズクラブ、2014年4月18日。ISBN 978-4-86333-078-8