狩野泰光
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狩野 泰光(かのう やすみつ、生没年不詳)は戦国時代の武将。後北条氏家臣。北条氏康の代から仕えたとされ、史料等によってはその1字を与えられたとみられる「康光」(読み同じ)の表記もみられる。飛騨守。
『北条氏所領役帳』には御馬廻衆として513貫430文の知行高が記されている。
泰光は北条氏の奉行人・評定衆として活躍していたようで、彼が署判を加えた裁許朱印状が数多く残っている。
永禄11年(1568年)2月10日の裁許朱印状を最後に記録から見られなくなるため、この頃に没したとも言われる。
また、泰光は北条氏照の奉行人である狩野一庵宗円と同一人物であることが明らかとなっている[1]。
宗円は泰光が記録から見られなくなる永禄11年の翌12年11月から氏照の奉行人としての活動が確認でき、天正18年(1590年)の小田原征伐の際に八王子城で自害している。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 佐藤, 博信「狩野一庵宗円のこと」『戦国史研究』15号、1988年。
- 『真説戦国北条五代 早雲と一族、百年の興亡』学習研究社〈歴史群像シリーズ14〉、1989年。ISBN 405105151X。