コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

独立記念日 (フィリピン)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

独立記念日(どくりつきねんび フィリピン語: Araw ng Kasarinlán[1])は、1898年のスペインからのフィリピン独立宣言を記念し6月12日に祝うフィリピンの毎年の祝日英語版である[2]。「自由の日」フィリピン語: Araw ng Kalayaanとも呼ばれる。

歴史

[編集]
1898年6月12日の独立宣言の場面。フィリピン5ペソ紙幣 (1985年発行)英語版の裏面
アンブロシオ・リアンサレス・バウティスタが執筆した独立宣言文の原文

記録上はパミティナン洞窟英語版リサル地方ロドリゲス英語版)でアンドレス・ボニファシオが行った宣言が最初とされる。このときカティプナン新党員の加入にあたり、いずれも同党員のエミリオ・ハシント英語版やレスティトゥト・ハビエル、ギリェルモ・マサンカイやアウレリオ・トレンティノ英語版、ファウスティノ・マナラクやペドロ・サバラ他数名が立ち合う前で、ボニファシオは秘密結社の目的を表明しようと洞窟の壁にフィリピン独立万歳西: Viva la independencia Filipina!)と書いた[3]。ボニファシオはフィリピン独立革命の始まりとなる「プガドラウィンの嘆き英語版」も率いており、カティプナン党員はスペイン征服への抵抗のしるしとして住民税納税証明書(cedulas personales)を破り捨てている[4][5]

独立革命の戦いは1896年に始まり、翌1897年12月14日発効のビアクナバト条約英語版スペインの植民地政府英語版とフィリピン独立革命派に停戦をもたらした。その規定に基づきエミリオ・アギナルドら革命指導者はスペイン政府から40万ペソを受け取ると香港亡命した[6]

米西戦争が勃発すると、ジョージ・デューイ提督はアメリカ海軍アジア艦隊英語版を率いて香港からマニラ湾に展開、1898年5月1日、マニラ湾海戦でスペインを破るとフィリピンを植民地からアメリカの実効支配下に移した。アメリカ軍は続いて同月中にアギナルドをフィリピンに帰国させ[7]、同人は1898年5月19日にカビテに帰着する[8]

翌月の6月5日、アギナルドが独立の日を1898年6月12日であるとカビテ・エル・ビエホ英語版で布告する。同所は今日のアギナルド記念館である。独立宣言「Acta de la Proclamacion de la Independencia del Pueblo Filipino全文は、アギナルドの戦争助言者で特別代表の作家アンブロシオ・リアンサレス・バウティスタ英語版により厳かに読み上げられた[9]。宣言は21ページで構成され、アギナルドが任命したフィリピン人98名とアメリカの退役砲兵将校L・M・ジョンソン大佐が署名した[10]。1898年6月5日午後4時30分頃、サンフランシスコ・デ・マラボンの指揮で『最愛の地』(Marcha Nacional Filipina)を吹奏、フィリピンの国旗掲揚が初めて正式に執り行われた[11]

1946年7月4日の独立式典で行われた国旗掲揚式。星条旗を降ろしてフィリピン国旗を揚げる。

独立宣言は当初、1898年8月1日に革命軍の支配地16県の地方総代190人が承認し、次いで1898年9月29日にマロロス議会英語版を招集し追認された[12]

フィリピンは国際的な独立承認を、特に当事国であるアメリカとスペインからとりつけることに失敗した。スペイン政府が後に1898年のパリ条約を結んでアメリカにフィリピン諸島を割譲すると、フィリピン革命政府はこの条約を批准せず両国は交戦状態にまで進み、これを米比戦争と呼ぶ[13][14]

アメリカ合衆国は1946年7月4日、正式にフィリピン独立を認める。ハリー・S・トルーマン大統領はフィリピン独立法、通称「タイディングス=マックダフィー法」に従い、1946年7月4日布告第2695号を発布[15]、同日マニラ条約が調印された[16]

アメリカは自国の独立記念日に相当する7月4日を相手国の独立記念日として選び、この日は1962年までフィリピンの独立記念の祝日であった。同年5月12日、ディオスダド・マカパガル大統領は大統領布告28号を発し、「……人民の自由と独立、固有で奪うことのできない権利の宣言の記念として[17]」6月12日をフィリピン全土の特別な公的休日であると宣言する。2年後の1964年8月4日、共和国法第4166号は6月12日を「フィリピン独立記念日」と宣言すると7月4日を「フィリピン共和国記念日」と改称して、フィリピン全市民はふさわしい儀式で6月12日を祝うように義務化された[18]


旗の日

[編集]
翻るフィリピンの旗

フィリピンでは1964年まで、6月12日を「国旗の日」(祝日)と定めていた。1965年、ディオスダド・マカパガル大統領は布告第374号を発布、全国の国旗記念日を5月28日に改訂した。同日は1898年、フィリピンの国旗が初めてアラパンの戦い英語版カヴィテ州イムス)で翻った(ひるがえった)日である。100年後の1998年、フィデル・ラモス大統領は大統領布告第179号を発すると、祝賀期間を5月28日から6月12日の独立記念日まで延長した。政府機関や国有企業、州の機関や地方政府組織、さらに私企業に休業するように命じる。教育省には私的組織非政府組織社会市民運動団体との連携を担当させ、独立記念を祝う国旗掲揚の徹底が示された。公共の建物や政府組織、官舎、あらゆる公共の広場には必ず目立つように掲揚すること、また個人宅でもできる限り人目に付く形で国旗を掲げるように求めている[19][20]

祝日行事

[編集]

フィリピンの国旗は、旗の日の5月28日(1898年に初めて翻った当日)を初日として、または祝賀担当のフィリピン国家歴史委員会が選ぶ5月の特定日から同月30日まで、一般家庭や公的機関で掲揚するよう法に定めてある[21]カヴィテ州カウィト英語版のアギナルド記念館で行う例年の慶祝活動では、国旗を掲揚しフィリピン独立宣言を読み上げている[22]。世界各国のフィリピン人は6月12日か近い日に集まり公に慶祝しており、時に行進英語版を行う[23]。過去には首都のマニラで中央祝賀として制服機関や軍民、参加資格のある公人や私人が行進し、同じく地方祝賀も挙行され、近年の主要な行進は2018年、独立120周年を記念して実施している[24]


脚注

[編集]
  1. ^ President of the Philippines. “DECLARING THE REGULAR HOLIDAYS, SPECIAL (NON-WORKING) DAYS, AND SPECIAL HOLIDAY (FOR ALL SCHOOLS) FOR THE YEAR 2013”. PROCLAMATION NO. 459. Official Gazette, Philippine National Government. 2013年7月23日閲覧。
  2. ^ LOOK: Google Doodle for Philippine Independence Day”. Rappler (2019年6月12日). 2019年6月12日閲覧。
  3. ^ (英語) Philippine Revolution: The Making of a Nation : Papers from the Regional Conferences Held in Cebu City, Davao City, Baguio City, and Dapitan City. National Centennial Commission. (1999). p. 474. https://books.google.com/books?id=bTxyAAAAMAAJ 2013年7月7日閲覧。 ISBN 978-971-92018-7-8
  4. ^ Sichrovsky, Harry. “An Austrian Life for the Philippines: The Cry of Balintawak”. 2009年8月29日閲覧。
  5. ^ Ocampo, Ambeth R. (1995). Bonifacio's bolo. Anvil Pub.. p. 8. https://books.google.com/books?id=YWhxAAAAMAAJ ISBN 978-971-27-0418-5
  6. ^ Halstead, Murat (1898) (英語). The Story of the Philippines and Our New Possessions, Including the Ladrones, Hawaii, Cuba and Porto Rico. p. 126. https://books.google.com/books?id=lIQcwt7g2wkC 
  7. ^ Agoncillo, Teodor A. (1990) (英語). History of the Filipino people (8th ed.). ケソン: Garotech. p. 157. オリジナルの2020-01-14時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200114170228/https://archive.org/details/historyoffilipin00teod 2019年11月10日閲覧。 ISBN 978-9718711064
  8. ^ Agoncillo, Teodor A. (1990). History of the Filipino people (8th ed.). Quezon City: Garotech. ISBN 978-9718711064.
  9. ^ Bauzon, Kenneth E (2019-11-11). Capitalism, The American Empire, and Neoliberal Globalization. Themes and Annotations from Selected Works of E. San Juan, Jr.. books.google.com. p. 85. https://books.google.com/books?id=Zrm9DwAAQBAJ&q=Ambrosio+Rianzares+Bautista&pg=PA85 ISBN 9789813290808.
  10. ^ Ocampo, Ambeth R (2019年7月12日). “The mysterious Colonel Johnson”. The Philippine Daily Inquirer. https://opinion.inquirer.net/121922/the-mysterious-colonel-johnson 
  11. ^ Duka, Cecilio D (2008). Struggle for Freedom (2008 Ed. ed.). p. 166. https://books.google.com/books?id=4wk8yqCEmJUC&q=marcha+nacional+filipina+san+francisco+de+malabon&pg=PA166 ISBN 9789712350450
  12. ^ Ratification of Philippines Independence by the Municipal Presidents, August 1, 1898” (pdf) (英語). pcdspo.gov.ph (2012年6月11日). 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月12日閲覧。
  13. ^ De Ojeda, Jaime. "The Spanish–American War of 1898: A Spanish View." 1898 at the Wayback Machine (archived 2018-04-06) アメリカ議会図書館スペイン語部門.
  14. ^ Lewis L. Gould: Review. "Koenig, Louis W. JSTOR/stable/27547849 The Presidency of William McKinley アーカイブ at the Wayback Machine (archived 2016-03-06)".
  15. ^ Proclamation 2695 of July 4, 1946 "Independence of the Philippines"” (英語). アメリカ公文書館 National Archives (August 15, 2016). August 9, 2019時点のオリジナルよりアーカイブAugust 9, 2019閲覧。
  16. ^ Treaty of General Relations Between the United States of America and the Republic of the Philippines. Signed at Manila, on 4 July 1946” (pdf). 国際連合. July 23, 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。December 10, 2007閲覧。
  17. ^ Proclamation No. 28, s. 1962”. Official Gazette of the Government of the Philippines (May 12, 1962). September 3, 2015閲覧。
  18. ^ AN ACT CHANGING THE DATE OF PHILIPPINE INDEPENDENCE DAY FROM JULY FOUR TO JUNE TWELVE, AND DECLARING JULY FOUR AS PHILIPPINE REPUBLIC DAY, FURTHER AMENDING FOR THE PURPOSE SECTION TWENTY-NINE OF THE REVISED ADMINISTRATIVE CODE, Chanrobles Law Library, (1964-08-04), オリジナルの2009-08-15時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20090815092603/http://www.chanrobles.com/republicacts/republicactno4166.html 2009年11月11日閲覧。 
  19. ^ The Flag Days: May 28 to June 12, Official Gazette of the Philippine Government (2014-05-27). アーカイブ版 at the Wayback Machine (archived 2014-08-12).
  20. ^ Executive Order No. 179, s. 1994 , Official Gazette of the Philippine Government (1994-05-24).
  21. ^ “National Flag Day” (英語). Manila Bulletin News. (May 27, 2018). オリジナルのNovember 11, 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181111133936/https://news.mb.com.ph/2018/05/27/national-flag-day/ November 11, 2018閲覧。 
  22. ^ Legaspi, Amita (June 12, 2018). “Duterte leads Independence Day rites for the first time since becoming President” (英語). GMA News Online. オリジナルのNovember 11, 2018時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181111133928/http://www.gmanetwork.com/news/news/nation/656550/duterte-leads-independence-day-rites-for-the-first-time-since-becoming-president/story/ November 11, 2018閲覧。 
  23. ^ Manila Mail Exclusive: New York City Rejects Philippine Independence Day Parade Discrimination Claim”. Manila Mail US (2018年9月20日). 2018年11月11日閲覧。
  24. ^ (英語) Philippines Independence Day, (2018) (2018-06-12発行), https://www.youtube.com/watch?v=rrLp638ZxBE 2021年11月24日閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

ウィキソースに以下の原文があります。