狭山
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狭山(さやま)
地名
[編集]- 狭山丘陵 - 埼玉県南西部から東京都北西部にかけて広がる丘陵。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では狭山丘陵そのものを「狭山」と称し、「狭山」という表現を山の名称として用いている[注釈 1]。
- 狭山市 - 埼玉県に所在する市。狭山市域に狭山丘陵は含まれていないが、狭山丘陵周辺を主産地とする狭山茶の生産地の一つであったため、合併の際に市名とした。
- 狭山村 - かつて東京都北多摩郡に所在していた村。現在の東大和市の一部。名称は上記の狭山丘陵に由来する。
- 大阪狭山市 - 大阪府に所在する市。1987年(昭和62年)10月1日に市制が施行されるまでは、南河内郡狭山町だった。
人名
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『新編武蔵風土記稿』巻之一百二十一 多磨郡之三十三 山口領に
「廻リ田村 廻リ田村は郡北ノ方ニテ入間郡ノ境ニアリ(中略)江戸日本橋ヨリ行程八里ハカリ東ハ野口村ニトナリ西ハ清水村ニツゝキ南ハ小川村ニ接シ北ニ狭山ノ峰ヲサカフ」[1]
とある。廻リ田村・野口村については東村山市を参照。また同書巻之一百五十八 入間郡之三 山口領に「野口村 附持添新田 野口村ハ郡ノ北入間郡ノ界ニアリ此辺江戸日本橋ヨリ行程七八里ノ間ナリ東ハ入間郡久米川村ニトナリ西ハ廻リ田村ニサカヒ南ハ小川村及同新田ノ二村ニ接シ北ノ一方ハオシナヘテ狭山ナリ此山ノ嶺ニ郡界アリ」[2]
とある。勝楽寺村については勝楽寺 (所沢市)を参照。「勝楽寺村 勝楽寺村ハ河越城ヨリ坤ノ方五里ヲ隔テゝ多磨郡ノ界ニアリ江戸ヨリハ行程十里ナリ里人ハ狭山ノ続ニカゝリタル地ナレハ狭山庄ト唱フト云ヘトコノ庄名ハ外ニキクコトナケレハイカゝハアラン」[3]
出典
[編集]参考文献
[編集]- 「廻リ田村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ121多磨郡ノ33、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763994/87。
- 「野口村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ121多磨郡ノ33、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763994/91。
- 「勝楽寺村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ158入間郡ノ3、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764001/79。
- 「入間川村乃内 田中村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ161入間郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764002/20。
- 狭山市教育委員会 (2007年3月). “狭山市文化財調査報告第27集 狭山の旗本 小笠原家調査報告書”. 2019年11月30日閲覧。[リンク切れ]