猪野鹿次
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猪野 鹿次(いの しかじ、1879年(明治12年)9月7日[1][2][3] - 没年不明[3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家。大日本帝国陸軍軍人。福岡県飯塚市長。号に城南[2]。
経歴
[編集]猪野昌の長男として福岡区(現福岡市)に生まれる[2]。1900年(明治33年)、福岡県中学修猷館を卒業[4]。1902年(明治35年)12月、福岡県属となったのち陸軍に入り、1904年(明治37年)2月、陸軍歩兵少尉、1905年(明治38年)8月、中尉と進んだ[1]。この間、日露戦争に出征した[1]。1913年(大正2年)10月、福岡県築上郡長に就任し、1916年(大正5年)2月、同県三井郡長に転じる[1]。1920年(大正9年)9月、筑紫郡長となり、1926年(大正15年)6月、退官した[1]。同年8月、日本赤十字社福岡支部主事となり、1928年(昭和3年)4月に退職[1]。同月、嘉穂郡飯塚町長に就任し、1932年(昭和7年)3月、市制施行と共に飯塚市長に就任した[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。