獲物なければ報酬なし
表示
獲物なければ報酬なし(えものなければ ほうしゅうなし、No prey, no pay)または仕入れなければ報酬なし(しいれなければ-、No purchase, no pay)は、特に17世紀の私掠船や海賊船において、船員らに予め提示されていた条件を示す成句である。この句は成果報酬型給与に似た報酬の取り決めを表している[1]。
意味
[編集]この句の「仕入れ(purchase)」とは、標的の船から戦利品を得ることに成功したことを意味する[2]。すなわち、この句は襲撃に失敗して戦利品を得られなかった場合には、報酬がないことを意味していた[3]。失敗すれば何も得られないかもしれないが、しかし、襲撃に成功した場合には、役職や勤続期間に基づいた明確な報酬比で、平等かつ民主的に戦利品が分配されることがよくあった[4][注釈 1]。
使用例
[編集]この句はスペイン領で活動する海賊たちの間で、取り決めを説明するために広く使用されていた[注釈 2]。この概念は、報酬が利益全体の比率で決定されるために、より価値のある目標を攻撃するために、より高いリスクを取るという危険を冒させることに繋がったと言われている[5]。
ジャマイカ総督のHender Molesworthは、厳格な「仕入れなければ報酬なし」を提示して、私掠免許はおろか公益である海賊ハンターにも適用したことで知られている[3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ たとえば、海賊の掟として予め船長が2人分などと合意として決められた上で公平に分配された[要出典]。この取り決めで、8人の部下を持つ船長の海賊船が、例えば銀貨100枚を獲得した場合、1人分の報酬は、100 / (8×1 + 1×2) で、10枚となる(船長は20枚)[要出典]。もし獲物が大きく20倍の2000枚を獲得できれば、それに比例して報酬も20倍の200枚(2000 / (8×1 + 1×2))となる。船員は最大10枚で、残り1920枚は全部船長が取るというようなことはない[要出典]。
- ^ この頃の海賊たちの多くは、スペイン継承戦争においてイギリスに許可を与えられた私掠船であり、また戦後に私掠船業を廃業し、文字通りの海賊となってもイギリス船よりスペインやフランスの船を襲うことが多かった[要出典]。
出典
[編集]- ^ The Sea Rover's Practice: Pirate Tactics and Techniques, 1630-1730 by Benerson Little (en:Potomac Books, 2005)
- ^ Daily Life of Pirates by David Marley (en:ABC-CLIO, 2012)
- ^ a b Pirates of the Americas, Volume 1 by David Marley (en:ABC-CLIO, 2010)
- ^ No man knows my grave: Sir Henry Morgan, Captain William Kidd, Captain Woodes Rogers in the great age of privateers and pirates, 1665-1715 by Alexander Porter Winston (en:Houghton Mifflin, 1969)
- ^ Jolly Roger: The Story of the Great Age of Piracy by Patrick Pringle (en:Courier Dover Publications, 2001)