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玉ノ川脇太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉ノ川 脇太郎(たまのかわ わきたろう、1885年4月2日 - 1924年11月20日[1])は、現在の東京都あきる野市(当時は神奈川県)出身で佐渡ヶ嶽部屋伊勢ノ海部屋に所属した力士。本名は加藤 脇太郎。9代佐渡ヶ嶽。164cm、79kg。最高位は西前頭17枚目。

経歴

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1903年1月初土俵、1911年6月十両昇進。またこの時から二枚鑑札。1915年6月に入幕したが、在位2場所に終わり、その後は十両に低迷した為、1918年5月引退した。年寄専任となったが、若くして亡くなった。小兵であり、もぐらなければ相撲にならなかった。

成績

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  • 幕内2場所5勝13敗1休1預

改名

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改名歴なし [2]

出典

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010524110634/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19150603.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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