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玉島村 (岡山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たましまそん
玉島村
廃止日 1897年5月26日
廃止理由 新設合併
玉島村阿賀崎村玉島町(初代)
現在の自治体 倉敷市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
浅口郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 5,125
[1]、1891年)
隣接自治体 阿賀崎村、乙島村長尾村船穂村西之浦村
玉島村役場
所在地 岡山県浅口郡玉島村大字玉島
地図
旧・玉島村役場庁舎位置(羽黒山[2]
座標 北緯34度32分36秒 東経133度40分18秒 / 北緯34.543239度 東経133.67175度 / 34.543239; 133.67175 (玉島村)座標: 北緯34度32分36秒 東経133度40分18秒 / 北緯34.543239度 東経133.67175度 / 34.543239; 133.67175 (玉島村)
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玉島村(たましまそん)は、かつて岡山県浅口郡にあった自治体である。現在は、倉敷市玉島地域玉島玉島中央町(一部)・玉島阿賀崎(一部)・玉島上成に当たる。

概要

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かつては備中国浅口郡間人郷と呼ばれ、乙島・柏島の2島があるのみで一帯は遠浅のであった。その後、高梁川の流出する土砂の沖積作用と自然の隆起作用により一帯は沃野と化しつつあった[3]

江戸時代初期までは乙島村・柏島村の2村のみであったが、寛永19年にこの地を領した備中松山藩の藩主水谷勝隆により新田が開発された。勝隆と勝宗の2代に渡って土地開拓の大事業を遂行し、さらに甕江港(後の玉島港)も築造された[3]

また干拓で陸続きとなった阿弥陀島を羽黒山と改称し、出羽国羽黒山出羽神社勧請して羽黒大権現を建立し新田造成の祈願所とした[4]

明治期には郡役所、警察署、裁判所、電信局等が置かれ浅口郡の中心地になった[4]

1889年(明治22年)6月1日の町村制施行で玉島村と上成村が合併する際、新しい村名は大村であり著名な玉島を採用した[5]

1892年(明治25年)および1893年(同26年)には高梁川堤防が決壊し、大きな被害をもたらした[1]

地理

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  • 河川:西高梁川

沿革

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行政

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歴代村長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1-3 守安亀太郎 1889年(明治22年)9月3日 1896年(明治29年)4月4日
4 三浦清 1896年(明治29年)8月8日 1897年(明治30年)5月25日
参考文献 - [3]

当時の主要施設

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脚注

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  1. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「玉島村(近代)」
  2. ^ 1/20000玉嶋 明治30年測図・明治32.12.25発行今昔マップ on the web
  3. ^ a b c d e f 岡山県市町村合併誌 市町村編 145・146頁(岡山県、1960)
  4. ^ a b 角川日本地名大辞典 岡山県「玉島村(近世)」
  5. ^ 「玉島村は大村にして且つその名著名なる上、上成村は元その枝村なりしを以て玉島村とす」(岡山県市町村合併誌 総編 128頁)
  6. ^ 岡山県市町村合併誌 総編 70頁(岡山県、1960)

関連項目

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