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玉村康三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉村 康三郎(たまむら こうざぶろう、1856年 - 1923年12月20日[1])は、明治時代の写真家

経歴

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1856年(安政3年江戸に生まれる)1868年明治元年)金丸源三から写真術を学び始め、1875年(明治7年)独立して東京浅草で写真スタジオを開業。1877年(明治9年)横浜弁天通一丁目に移転、「写真師並写真画売込商・玉村写真館」と称した。

1897年(明治29年)から翌年にかけてボストンの出版社 J. B. ミレット(J. B. Millet)の依頼で、100万枚とも言われる日本の名勝・風俗の彩色写真の生産を行った。この写真は、岡倉天心によるエッセイ、小川一真コロタイプ製版写真と併せ、"Japan"と題した豪華アルバムシリーズとして発売された。

脚注

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  1. ^ 一記者 (1930-08). “浅沼藤吉翁奮闘物語(7)”. 写真新報 (写真新報社) 40 (8): 54. https://dl.ndl.go.jp/pid/1565354/1/53. 

参考文献

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  • 斎藤多喜夫著『幕末明治横浜写真館物語』吉川弘文館、2004年。ISBN 978-4642055758

外部リンク

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