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玉林通琇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉林通琇
1614年-1675年
尊称 玉琳国師
生地 江蘇省江陰県
没地 浙江省西天目山禅源寺
宗派 禅宗臨済宗
磬山圓修
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玉林通琇(ぎょくりん つうしゅう、1614年 - 1675年)は、中国清代臨済宗の禅僧。字は玉林、玉琳、尊称が玉琳国師で。江蘇省江陰県出身で俗姓は楊氏。。順治帝帝師

略歴

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万暦42年(1614年)、江蘇省江陰県で生まれる[1]

19歳で磬山圓修の門下で具足戒を受ける[1]。玉林通琇は浙江省武康県報恩寺に住んでいたが、順治15年(1658年)、京城挙揚仏法大会に召集され、大覚禅師に封じられた[1]。翌年封ぜられた大覚普済禅師[1]。順治17年(1660年)、董鄂妃が死去し、順治帝は意気消沈し、出家しようとした、後玉林通琇は順治帝に改心を勧め、順治帝は玉林通琇に大覚普済能仁国師を加封した[1]

玉林通琇は浙江省西天目山に禅源寺を建てて常住し、康熙14年(1675年)、淮安県慈雲庵にて示寂[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f “玉琳琇禅師:順治皇帝的老師(図)” (中国語). 新浪. (2012年8月21日). http://fo.sina.com.cn/master/mq/2012-08-21/1655130.shtml 2023年2月6日閲覧。 

参考文献

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  • 聶先 (2018) (中国語). 『続指月録』. 成都市: 巴蜀書社. ISBN 9787553109824