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玉沢村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たまさわむら
玉沢村
廃止日 1954年8月10日
廃止理由 新設合併
玉沢村、築館町、富野村宮野村築館町
現在の自治体 栗原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 宮城県
栗原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 33.62 km2
総人口 5,413
(『宮城県町村合併誌』、1954年8月9日)
隣接自治体 栗原郡築館町一迫町瀬峰町志波姫村畑岡村清滝村
登米郡新田村
玉沢村役場
所在地 宮城県栗原郡玉沢村
座標 北緯38度42分56秒 東経141度02分15秒 / 北緯38.71561度 東経141.03739度 / 38.71561; 141.03739座標: 北緯38度42分56秒 東経141度02分15秒 / 北緯38.71561度 東経141.03739度 / 38.71561; 141.03739
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玉沢村(たまさわむら)は、1954年昭和29年)まで宮城県栗原郡南東部にあった村。現在の栗原市築館のうち太田・照越・萩沢・八沢・横須賀を冠する各字などにあたる。

沿革

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  • 1875年明治8年)10月17日 - 水沢県による村落統合にともない、照越村と萩沢村が合併して玉荻(たまおぎ)村が、太田村・八沢村および留場村の一部(横須賀)が合併して太沢村が、それぞれ成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行にともない、玉荻村と八沢村が合併して玉沢村が発足。
  • 1947年(昭和22年)8月7日 - 昭和天皇戦後巡幸で村内を通過(後述)。
  • 1954年昭和30年)8月10日 - 築館町・富野村宮野村と合併し、新制の築館町となる。

行政

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  • 歴代村長
氏名 就任 退任 備考
1 三塚甚吉 1893年(明治26年)4月21日 1894年(明治27年)2月21日
2 三塚甚平 1894年(明治27年)6月1日 1896年(明治29年)5月11日
3 渋谷仙右衛門 1896年(明治29年)6月18日 1899年(明治32年)8月28日
4 相馬龍左衛門 1899年(明治32年)9月21日 1899年(明治32年)10月4日
5 南条宗三郎 1900年(明治33年)10月16日 1903年(明治36年)6月28日
6 相馬民作 1903年(明治36年)8月6日 1904年(明治37年)3月2日
7 藤田左治郎 1904年(明治37年)3月30日 1908年(明治41年)3月29日
8 曾根喜四郎 1908年(明治41年)4月21日 1911年(明治45年)4月20日
9 三浦茂三郎 1911年(明治45年)5月11日 1916年(大正5年)5月10日
10 南条宗三郎 1917年(大正6年)1月27日 1919年(大正8年)11月3日 再任
11 藤田権四郎 1919年(大正8年)12月12日 1926年(大正15年)6月2日
12 三塚豊治 1927年(昭和2年)10月6日 1929年(昭和4年)2月15日
13 千葉治左衛門 1929年(昭和4年)3月4日 1932年(昭和7年)8月13日
14 相馬宗一郎 1932年(昭和7年)8月18日 1933年(昭和8年)12月18日
15 藤田権四郎 1933年(昭和8年)12月28日 1937年(昭和12年)11月27日 再任
16 曾根斐治 1938年(昭和13年)1月10日 1946年(昭和21年)12月30日
17 白鳥貞策 1947年(昭和22年)1月1日 1947年(昭和22年)3月1日
18 大場松四郎 1947年(昭和22年)4月8日 1953年(昭和28年)3月31日
19 藤田規雄 1953年(昭和28年)4月30日 1954年(昭和29年)8月9日

産業

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鉱業

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第二次世界大戦の前後に照越鉱山が稼働。東北地方の代表的な亜炭鉱山であった。1947年(昭和22年)に昭和天皇が行幸した際には、天皇が車中から貯炭状況を視察し、鉱山関係者からの奉迎を受けた[1]

脚注

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  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十』東京書籍、2017年3月30日、397頁。ISBN 978-4-487-74410-7 

参考文献

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  • 『宮城県町村合併誌』(宮城県地方課、1958)

関連項目

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