玉置伸吾
玉置伸吾 | |
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出生名 | 玉置新吾 |
生誕 | 1966年7月26日(58歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 日本大学藝術学部音楽科作曲コース |
ジャンル |
テクノ ロック ポップ・ミュージック クラシック アンビエント |
職業 |
キーボーディスト 作曲家 編曲家 音楽プロデューサー |
担当楽器 |
シンセサイザー オルガン ピアノ パーカッション ボーカル |
活動期間 | 1986年 - |
レーベル | BLUE ISLAND LABEL |
公式サイト | BLUE ISLAND |
玉置 伸吾(たまき しんご、1966年7月26日 - )は、ミュージシャン、サウンド・プロデューサー。東京都生まれ。
来歴
[編集]幼い頃に歌手であり女優の母宝みつ子の影響でジャズやラテン音楽に興味を持つ。 小学生低学年の頃ハーブ・アルパートやアンディー・ウィリアムスのレコードを聴いてばかりいた早熟少年。 母方の兄弟にもミュージシャンがいることから音楽環境には恵まれていて5才の頃からピアノを習い始める。 親の仕事の都合で小学1年でハワイに移住。そこでも母親の友達の子供達もバンド活動をしていて器楽演奏の楽しさを覚える。 2年後に再び日本に戻り日本の音楽教育を受ける。 小学生高学年になる頃ABBAに影響を受けポップスに目覚めその頃から独学で作曲をするようになった。 中学1年の終わり頃伝説のグループ「イエロー・マジック・オーケストラ」の出現に度肝を抜かれてシンセサイザー音楽の虜になり中学2年にカシオ計算機から第一号機カシオトーンが発売され親にねだり買ってもらった。 そのイエロー・マジック・オーケストラの音楽の構造を分析し自ら多重録音の基本であるピンポン録音に夢中になる。 東京品川区に移り住み武蔵小山にある河合楽器にピアノを習いに行っていた時キーボードコーナーに置いてあったARP ODYSSEYの白パネルとRoland PROMARSを触っていて人生初のシンセサイザーで夢中で弾いていて店員さんとは顔馴染みになっていた。 高校入学祝いに初のシンセサイザーであるKORG polysixを与えられる。 高2の頃、渋谷道玄坂にあったYAMAHA楽器に中古のpoly moogを発見。 自分の貯金と親がグランドピアノを買おうとしていた資金の中から半分出してもらい購入。 その頃矢野顕子や松任谷由実のコピーバンドを組んでいてベーシストに亀田誠治氏がいた。 科学技術館のサイエンスホールでpolysixとpoly moogを持ってコンサートで演奏していた。 同時にイエロー・マジック・オーケストラのコピーバンドを組んでライブ演奏を行っていた。 日藝在学中にTOM★CATの高垣薫さんや中島慶久さんらの先輩達に誘われ【マダム横瀬バンド】として六本木ピットインに出演。
24歳の頃、亀田誠治氏の紹介でハーフトーンミュージックアンドシステムズに所属しスタジオ・ミュージシャンとして活動。
家族ぐるみで伝説の作曲家中村八大氏との交流も深く作曲を師事。 八大先生ならではの作曲技法を学ぶ。
音楽プロデュース
[編集]作曲・編曲・リミックス
[編集]中森明菜、ITSUKI、Port of Notes、ミネハハ(松木美音)、RIP SLYME、嵯峨野れい(宝みつ子)
演奏参加
[編集]中森明菜、 SMAP 、大村憲司(共同制作)、hitomi、織田裕二、久宝留理子、松田樹利亜、東野純直、観月ありさ、とんねるず、ミネハハ(松木美音)
TV番組音楽制作
[編集]HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP 、トロイの木馬、SMAP×SMAP
ミュージカル音楽担当
[編集]マザー・オブ・インベンション、ハンナ・バーベラのケンケンの大冒険、南青山少女歌劇団
その他音楽制作
[編集]1997年東京モーターショー・MAZDAブースMISIAの作品を編曲、グレイブラザーズ作品提供、ラジオ・TVCM多数