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王山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王山古墳

墳丘(左に前方部、右に後円部)
別名 総社町1号墳
所属 総社古墳群
所在地 群馬県前橋市大渡町1丁目6-1
(王山公園内)
位置 北緯36度23分41.80秒 東経139度3分10.75秒 / 北緯36.3949444度 東経139.0529861度 / 36.3949444; 139.0529861座標: 北緯36度23分41.80秒 東経139度3分10.75秒 / 北緯36.3949444度 東経139.0529861度 / 36.3949444; 139.0529861
形状 前方後円墳積石塚
規模 墳丘長75.6m
高さ4m(後円部)
埋葬施設 両袖式横穴式石室
出土品 歯・辻金具・胡簶金具・埴輪
築造時期 6世紀初頭
史跡 前橋市指定史跡「王山古墳」
地図
王山古墳の位置(群馬県内)
王山古墳
王山古墳
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750 m
蛇穴山
宝塔山
愛宕山
二子山
王山
.
遠見山
総社古墳群分布図

王山古墳(おうやまこふん)は、群馬県前橋市大渡町(おおわたりまち)にある古墳積石塚)。形状は前方後円墳。総社古墳群を構成する古墳の1つ。前橋市指定史跡に指定されており、王山公園として整備されている[1]

概要

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総社古墳群7基
支群 古墳名 形状 規模 埋葬施設 築造時期 史跡指定
遠見山古墳 前方後円墳 墳丘長88m 竪穴式石室? 5c後半 市史跡
王山古墳 前方後円墳 墳丘長76m 横穴式石室 6c初頭 市史跡
王河原山古墳? 前方後円墳 (消滅)
二子山古墳 前方後円墳 墳丘長90m 横穴式石室2基 6c後半 国史跡
愛宕山古墳 方墳 一辺56m 横穴式石室 7c前半
宝塔山古墳 方墳 一辺66m 複室横穴式石室 7c中葉 国史跡
蛇穴山古墳 方墳 一辺44m 横穴式石室 7c後半 国史跡

群馬県中部、榛名山東南麓・利根川西岸の前橋台地上に築造された古墳である。現在までに墳丘頂部・前方部半分が失われているほか[2]19721974年昭和47・49年)に発掘調査が実施されている[3][4]

墳形は前方後円形で、前方部を北方向に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成[2]。盛土の上に川原石や砂・礫を詰め、その外側には自然石による葺石が施されており[5]、墳丘外表では円筒埴輪形象埴輪(大刀形・盾形埴輪)が検出されている[5]。また墳丘周囲には幅24メートルの周濠(湛水濠)が巡らされる[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、東方向に開口した。全長16.45メートルを測る群馬県内では最長級の大型石室になる[2]。この石室は大きく破壊を受けており、調査では歯・辻金具片・胡簶金具のみが検出されている[2][5]

築造時期は、古墳時代後期の6世紀初頭頃と推定される[5][4]。総社古墳群では遠見山古墳に後続し、王河原山古墳または二子山古墳に先行する時期に位置づけられる。群馬県内では初期の様相を呈する横穴式石室を有する点で、畿内ヤマト王権とのつながりによる先進的技術の導入が示唆され[5]、総社地域が古代上毛野地方(上野国)の政治的・文化的中心となる過程を考察するうえで重要視される古墳になる。

古墳域は1984年(昭和59年)に前橋市指定史跡に指定された[6]。現在は史跡整備のうえで「王山公園」として公開されている。

遺跡歴

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墳丘

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墳丘の規模は次の通り[5][4]

  • 墳丘長:75.6メートル
  • 後円部 - 3段築成。
    • 直径:50メートル
    • 高さ:4.5メートル
  • 前方部 - 2段築成。
    • 幅:63.1メートル

後円部基壇・前方部斜面に敷かれた川原石は厚さ2-2.5メートルにおよび、後円部墳丘の中段・上段は全て積石によって構築される点で特異性を示す[2]

埋葬施設

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後円部墳頂の石室標示

埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、東方向に開口した。石室の規模は次の通り[3][5]

  • 石室全長:16.37メートル
  • 玄室:長さ4.37メートル、幅1.63メートル(奥壁)、現存高さ1.6メートル[2]
  • 羨道:長さ12メートル

石室は後円部の基壇上に構築される[2]。石室の石材は川原石で、奥壁は横積み、他の壁は小口積みによって構築される[2]。玄室の壁面には赤色顔料の塗布が指摘される[3]

群馬県内では初期(導入期)の横穴式石室であり、同時期の横穴式石室古墳としては前二子古墳(前橋市西大室町)・簗瀬二子塚古墳安中市)が知られる[5][4]

文化財

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前橋市指定文化財

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  • 史跡
    • 王山古墳 - 1984年(昭和59年)3月12日指定[6]

関連施設

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  • 前橋市総社歴史資料館(前橋市総社町総社) - 王山古墳の出土品等を展示。

脚注

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  1. ^ 総社・清里の文化財めぐり”. 前橋市教育委員会. 2023年1月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 王山古墳(平凡社) 1987.
  3. ^ a b c d 王山古墳(古墳) 1989.
  4. ^ a b c d 総社・清里の文化財を訪ねて > 王山古墳(前橋市ホームページ)。
  5. ^ a b c d e f g h 東国の雄 総社古墳群(パンフレット) 2016.
  6. ^ a b c 市指定文化財一覧(前橋市ホームページ)。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(前橋市教育委員会、1992年設置)
  • 「東国の雄 総社古墳群」(パンフレット)(前橋市教育委員会事務局文化財保護課、2016年)。 - リンクは前橋市ホームページ。
  • 「王山古墳」『日本歴史地名大系 10 群馬県の地名』平凡社、1987年。ISBN 4582490107 
  • 松本浩一「王山古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『群馬総社古墳群 -東国古代文化の中心-』観光資源保護財団、1978年。 

関連項目

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外部リンク

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