王愷 (東晋)
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王愷(おう がい、生没年不詳)は、中国の東晋の官僚。字は茂仁。本貫は太原郡晋陽県。
経歴
[編集]王坦之の長男として生まれた。若くして清官を歴任し、父の爵位を嗣いだ。太元末年に侍中となり、右衛将軍を兼ねた。弟の王愉らとともに名門貴族として隆盛を誇った。
隆安元年(397年)、王恭らが王国宝を討つと、王愷は解職を申し出た。王愷は王国宝とは異母兄弟で、もともと仲が悪かったことから、連座を免れた。王国宝が死去すると、王愷は呉郡内史として出向した。後に建康に召還されて、丹陽尹となった。桓玄らが江寧に入ると、王愷は兵に命じて石頭を守らせた。桓玄が敗れて西に逃れると、王愷は再び呉郡内史となった。後に病死した。太常の位を追贈された。
伝記資料
[編集]- 『晋書』巻75 列伝第45