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王育霖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の法服を着た王育霖。

王 育霖(おう いくりん、台湾語: Ông Io̍k-lîm、1919年 - 1947年)は、台湾検察官。日本本土初の台湾人検事。二・二八事件中華民国政権により処刑される。台南市出身。

言語学者、台湾独立活動家の王育徳は弟[1]

経歴

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旧制台北高等学校尋常科、同高等科を経て、東京帝国大学法科(東大法学部)卒業[2]。東大在学中に高等試験司法科合格[2]。東大の恩師の田中耕太郎(後に最高裁判所長官)や小野清一郎の推薦もあり、日本初の台湾人検事として京都地方裁判所に勤務した[3][2]

第二次世界大戦後、台湾に戻り、新竹市で検事として勤務した[2]台北市立建国高級中学(旧台北一中)の教師も務めた。

二二八事件の掃討期間に私服憲兵、警察に逮捕され保安司令部第二処(もと西本願寺)に監禁・拷問の後、三月末に処刑。遺体は淡水河に遺棄され、現在も見つかっていない[2]

脚注

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  1. ^ 伯父の喪失と父の亡命、本当の解決を求めて”. nippon.com (2022年2月28日). 2023年6月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e “[es.lib.ntnu.edu.tw/exhibitions/taihoku95/exhibition_07-jp.jsp 學養與自治精神的傳承-臺北高等學校創校95周年紀念特展]”. 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ 王育徳「兄王育霖の死」『台湾青年 第六号 二・二八特集号』台湾独立建国聯盟日本本部 77頁

参考文献

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  • 王力群《期待明天的人:二二八消失的檢察官王育霖》