甘蔗義邦
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甘蔗 義邦(かんじゃ[1][2] よしくに、1891年〈明治24年〉2月21日[1][2] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。
経歴
[編集]岐阜県に川上貞蔵の四男として生まれ、甘蔗義尭の養子となった[1][3]。東京帝国大学法科大学政治科に学び、在学中の1917年(大正6年)に高等文官試験に合格し、翌年卒業した[1][4]。朝鮮総統府試補、道事務官、平安南道財務部長、江原道警察部長、朝鮮総督秘書官を歴任し、1929年(昭和4年)に欧米各国に出張した[1]。帰国後、警務局衛生課長、咸鏡南道内務部長、江原道内務部長を経て、1934年(昭和9年)に平壌税務監督局長に就任した[5]。1936年(昭和11年)より京城府尹に、1937年(昭和12年)より京畿道知事となった[5]。
1940年(昭和15年)に退官した後は、朝鮮放送協会会長を務めた[4]。
戦後は磯崎産業顧問を務めた[2]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 日本官界名鑑 1937.
- ^ a b c 人事興信所 1965, か113頁.
- ^ 『朝鮮人事興信録』(朝鮮人事興信録編纂部、1935年)では石川県鹿島郡相馬村出身。
- ^ a b 大衆人事録 1943.
- ^ a b 人事興信録 1939.
参考文献
[編集]- 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版(上)』人事興信所、1939年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 人事興信所 編『全日本紳士録 昭和40年版』人事興信所、1965年 。