生野幸吉
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生野 幸吉(しょうの こうきち、1924年5月13日 - 1991年3月31日)は、日本のドイツ文学者、詩人、小説家、翻訳家。東京大学名誉教授。
経歴
[編集]東京・高円寺生まれ、1947年、東京帝国大学法学部政治科卒業、1951年、東京大学独文科卒、助手となる。
1954年、東京水産大学講師。1954年から 1955年にかけて、ドイツ学術交流会の奨学金によりミュンヘン大学に留学[1]、1961年、東京大学教養学部講師。1964年、東京大学文学部助教授、1973年、教授。1985年定年退官。
その後、大阪経済法科大学教授。1986年、千葉大学教授[2]。
1991年3月31日、死去[3]。墓所は多磨霊園(11-1-10)
詩人として「歴程」同人。1966年『生野幸吉詩集』で高村光太郎賞受賞。詩集に『浸礼』。また小説集『私たち神のまま子は』『徒刑地』がある。
詩集・小説
[編集]- 『飢火』(河出書房) 1954
- 『生野幸吉詩集』(思潮社) 1966
- 『生野幸吉詩集』(思潮社、現代詩文庫) 1969
- 『私たち神のまま子は』(新潮社) 1970
- 『徒刑地』(中央公論社) 1971
- 『氷期』(文学書林) 1975
- 『杜絶』(詩学社) 1988
評論
[編集]翻訳
[編集]- 『マルテの日記』(ライナー・マリア・リルケ、河出書房) 1955
- 『コロンブスのむすこ』(ハンス・バウマン、岩波少年文庫) 1958
- 『大雪』(ゼリーナ・ヘンツ、岩波書店) 1965
- 『みつばちマーヤの冒険』(ヴァルデマール・ボンゼルス、河出書房、少年少女世界の文学) 1967
- 『リルケ詩集』(白凰社) 1967
- 『イスラエルの受難』(ネリー・ザックス、三修社) 1968
- 『ふしぎの国のアリス』(ルイス・キャロル、福音館書店) 1971
- 『若きヴェルテルの悩み』(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、筑摩書房) 1977
- 『大きな魚にのまれたヨナ』(C・ブッラ、岩波書店) 1977
- 『赤ずきん』(グリム兄弟、岩波書店) 1978
- 『もじゃもじゃペーター』(ハインリッヒ・ホフマン、集英社) 1980
- 『星座の伝説』(モニカ・バイスナー、メルヘン社) 1981
- 『わがままな巨人』(オスカー・ワイルド、集英社) 1982
- 『ラプンツェル』(グリム兄弟、集英社) 1982
- 『ねっこぼっこ』(ジビュレ・フォン・オルファース、福武書店) 1982
- 『ディオニュソス頌歌』(フリードリヒ・ニーチェ、「全集4 第2期」白水社) 1987
- 『ドイツ名詩選』(檜山哲彦共訳、岩波文庫) 1993
論文
[編集]脚注
[編集]- ^ Dierk Stuckenschmidt (Hrsg.), DAAD: 50 Jahre - 30 Jahre Austausch mit Japan. Erinnerungen japanischer Wissenschaftler und Künstler an ihre Studienzeit in Deutschland. ドイツ学術交流会(DAAD)Tokyo 1985. S. 71-72. - 濱川祥枝『續ひとくぎり』私家版 1994、「追悼 I 生野幸吉君のこと」89-97頁中の89-90頁。
- ^ 濱川祥枝『續ひとくぎり』私家版 1994、「追悼 I 生野幸吉君のこと」89-97頁。
- ^ 追悼文として濱川祥枝『續ひとくぎり』私家版 1994、「追悼 I 生野幸吉君のこと」89-97頁。- 三光長治「稀有の人 - 生野幸吉のこと」近藤久寿治編『ラテルネ』69号 同学社 1993、1(近藤孝夫編『ラテルネ記念綜輯号(Ⅲ) - 61号~90号』同学社 2004年10月、162-163頁)- 神品芳夫「さあれひかりは熱し - 生野幸吉氏追悼」『図書新聞』平成3年4月20日号(転載:近藤久寿治編『ラテルネ』66号 同学社 1991、9;近藤孝夫編『ラテルネ記念綜輯号(Ⅲ) - 61号~90号』同学社 2004年10月、118-119頁)- 檜山哲彦「鶴の形 - 生野先生の思い出」近藤久寿治編『ラテルネ』66号 同学社 1991、9(近藤孝夫編『ラテルネ記念綜輯号(Ⅲ) - 61号~90号』同学社 2004年10月、119-120頁)。