用土原の戦い
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用土原の戦い(ようどはらのたたかい)とは、太田道灌と長尾景春の戦いである[1]。
概要
[編集]文明9年(1447年)5月13日、太田道灌は五十子の戦いで破れ上野国那波(現・群馬県伊勢崎市)に敗走した主君上杉定正と上杉顕定を五十子に迎え入れた。そこに武蔵国榛沢の陣から攻め寄せてきた景春を、上杉定正と家臣太田道灌、上杉顕定とその家臣長尾忠景で武蔵国用土原(現・埼玉県大里郡寄居町)の針谷で迎えうち合戦となり、上杉軍が景春を撃破。景春は鉢形城に敗走した。それを追撃包囲しようとしたが、古河公方足利成氏が援軍を送ったので、陣を引いた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『戦国合戦史辞典』小和田泰経 碧水社 2010年4月p18