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田上穰治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年

田上 穰治(たがみ じょうじ、1907年明治40年)1月12日 - 1991年平成3年)10月21日 )は、日本の法学者一橋大学名誉教授法学博士。専門は公法学憲法・比較憲法・行政法)。キリスト教徒であったが、キリスト教徒の殉職自衛官の訴訟では国側の証人として、宗教上の人格権を否定した。美濃部達吉門下。弟子に長谷川正安杉原泰雄山内敏弘など。

経歴

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1907年(明治40年)1月12日、静岡県三島市に生まれる[1]。1923年(大正12年)、徳島県立徳島中学校卒業[1]。1927年(昭和2年)、第一高等学校文科乙類卒業[1]。1929年(昭和4年)12月、高等試験司法科合格[1]。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部法律学科卒業[1]。同年4月、東京帝国大学助手[1]。1961年(昭和36年)、学位論文『警察法』により東京大学法学博士[1]

1935年から美濃部の後任として東京商科大学(現一橋大学)で行政法を講じ、1941年からは筧克彦の後任として憲法も担当した。1932年(昭和7年)、東京商科大学助手[1]。1933年(昭和8年)、同大学附属商学専門部講師[1]。1935年(昭和10年)東京商科大学附属商学専門部教授[1]。1938年(昭和13年)東京商科大学助教授[1]。1942年(昭和17年)、東京商科大学教授(後に一橋大学教授)[1]。1963年(昭和38年)、一橋大学法学部長[1]

1970年(昭和45年)、一橋大学大学停年退官、一橋大学名誉教授[1]。同年、明治学院大学教授[1]。1972年(昭和47年)、明治学院理事。1974年(昭和49年)、亜細亜大学法学部教授[要出典]

晩年

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喜寿記念論文集に『公法の基本問題』(有斐閣)、追悼論文集に比較憲法学会編『法と正義-田上穣治博士追悼論文集-』(政光プリプラン)がある。

1991年(平成3年)東京都武蔵野市の自宅で肺炎のため死去[要出典]享年84。

死後、比較憲法学会内に田上穣治賞が設けられた[2]

弟子

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法学者の弟子に長谷川正安名古屋大学名誉教授)、市原昌三郎(一橋大学名誉教授)、杉原泰雄(一橋大学名誉教授)、山内敏弘(一橋大学名誉教授)[3][4]田口精一慶應義塾大学名誉教授)[5]土屋和恵山形大学名誉教授)、熊田通彦新潟大学名誉教授)[6]山野一美(元関東学園大学学長)[7]など。

指導学生には大平正芳(第68-69代内閣総理大臣)や小島太作(元駐インド大使)、武野義治(初代駐イスラエル大使)、吉永榮助(一橋大学名誉教授)、富樫総一(元労働事務次官[8]金子善次郎(元衆議院議員、元自治省大臣官房審議官)[9]真島一男(元参議院議員、元建設省都市局長)など[10]

栄典

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社会的活動

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  • 高等試験臨時委員
  • 学術振興会学術部第一常置委員会委員
  • 文部省人文科学委員会委員
  • 司法試験考査委員
  • 大学設置審議会臨時委員
  • 検察官特別考試審査会臨時委員
  • 警察三級職員採用試験委員
  • 行政審議会委員
  • 選挙制度調査会委員
  • 教材等調査研究会委員
  • 公務員制度調査会委員
  • 電波監理審議会委員
  • 国家公務員(六級職)採用試験専門委員
  • 大学基準等研究協議会委員
  • 日本学術会議第4期会員
  • 消防審議会委員
  • 国家公務員採用上級試験専門委員(法律)
  • 警察官採用上級試験委員
  • 憲法調査会委員
  • 東京弁護士会資格審査会委員
  • 中央選挙管理会(第二部)委員
  • 公共用地取得制度調査会委員
  • 裁判所書記官等試験委員臨時委員
  • 町名地番制度審議会委員
  • 財政制度審議会委員
  • 公共用地審議会委員
  • 科学技術会議専門委員
  • 海外移住審議会委員
  • 臨時放送関係法制調査会委員
  • 地方制度調査会委員
  • 臨時鉄道法制調査会委員
  • 外務公務員採用上級試験委員
  • 著作権制度審議会委員
  • 河川審議会委員
  • 大学設置審議会専門委員
  • 建築審議会委員
  • 法学、政治学視学委員
  • 国土庁顧問

主著

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  • 『法の本質と憲法』(有斐閣、1942年)NDLJP:1273698
  • 『法律による行政』(有斐閣、1942年)NDLJP:1281075
  • 『行政法概論』(有斐閣、1942年)
  • 法律学全集 警察法』(有斐閣、1958年)
  • 『体系憲法事典』(青林書院、1968年)
  • 『日本国憲法原論』(青林書院、1980年)
  • 『行政法要説』(有斐閣、1984年)
  • 『西ドイツの憲法裁判』(信山社、1988年)
  • 『入門憲法』(有斐閣)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 名誉教授田上穣治先生略年譜』日本評論社、1971年1月1日。doi:10.15057/2299https://doi.org/10.15057/22992021年12月6日閲覧 
  2. ^ 比較憲法学会事務局 (2009年10月14日). “田上穣治賞に関する規程”. 比較憲法学会公式サイト. 2021年12月6日閲覧。
  3. ^ 市原昌三郎「一橋と公法学-憲法学・行政法学」一橋論叢
  4. ^ 「昭和37年度学位授与論文・博士課程単位修得論文要旨」
  5. ^ 田口精一「浅井清先生への追憶」『法學研究 : 法律・政治・社会』第52巻第11号、慶應義塾大学法学研究会、1979年11月、123-125頁、ISSN 0389-0538NAID 120006211905 
  6. ^ 昭和36年度学位授与論文及び単位修得論文要旨」『一橋研究』第9号、一橋大学大学院学生会、1962年9月、57-59頁、doi:10.15057/6747ISSN 0286-861XNAID 110007621269 
  7. ^ 昭和39年度および昭和40年度学位授与・単位修得論文」『一橋研究』第14号、一橋大学大学院生自治会、1967年2月、70-71頁、doi:10.15057/6713ISSN 0286-861XNAID 110007621235 
  8. ^ 碩滴考大平正芳記念財団
  9. ^ [1] 金子善次郎公式ホームページ。
  10. ^ 真島一男「行政事件訴訟特例法第二条の訴願」『一橋論叢』第39巻第3号、日本評論新社、1958年1月、341-344頁、doi:10.15057/3847ISSN 00182818NAID 110007636975