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田中みずき (ペンキ絵師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田中 みずき(たなか みずき、1983年 - )は、日本のペンキ絵師大阪府出身。中島盛夫丸山清人とともに、現役で活動中の3人のペンキ絵師の一人である[1]

来歴

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大阪府生まれ、東京都育ち。筑波大学附属高等学校明治学院大学文学部芸術学科卒業[2]。明治学院大学大学院文学研究科芸術学専攻博士前期課程修了[3]。大学では美術史を専攻し、現代美術に関心を持ち、福田美蘭束芋の作品を好んだ。この両名は銭湯をモチーフにした作品を制作しており、卒業論文のテーマ探しをきっかけに訪れた銭湯でペンキ絵の存在を知る[4]。ペンキ絵の世界に魅力を感じ、技術を途絶えさせてはならないと考え、2004年現代の名工の一人である中島盛夫に弟子入りを志願した。銭湯の軒数の減少から収入の見通しの立てにくい仕事であり、中島は他の仕事との兼業を条件に田中を受け入れた。美術関連の出版社で働く傍ら見習いを続けたが、ペンキ絵師に専念したい思いから1年半ほどで退職。初めの3年間は空と雲だけを描いたが次第に岩や樹木なども任され、7年目には壁全面を一人で制作した。2013年には9年間の下積みを終えて独立[5]。同年、便利屋を営む男性と結婚。足場の設置などで協力して作業を行う[1]

作品

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2013年に独立してから2018年までに延べ100軒余りの銭湯で描いてきた[5]

大阪のスーパー銭湯では葛飾北斎浮世絵風の注文があったが、館内はアジアンリゾートの雰囲気であった。そのため、浮世絵風、スタンダードな富士山、アジアンリゾートをイメージした色調の富士山の3種類を提案し、その結果、アジアンリゾート風の作品が選ばれた。熊本県人吉市の旅館では、主人が案内してくれた観光名所を盛り込んだ作品を仕上げた[6]。2016年には7月から11月までの期間限定で、大田区の黒湯温泉で『シン・ゴジラ』をモチーフにしたペンキ絵を手掛けた[7]

脚注

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  1. ^ a b 銭湯絵師という仕事-田中みずき”. ニッポンドットコム (2017年2月24日). 2019年4月8日閲覧。
  2. ^ 世界遺産1周年を記念して、富士山巨大ペンキ絵を制作”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年7月13日閲覧。
  3. ^ kalons:現代アートのレビューポータル”. www.kalons.net. 2022年7月13日閲覧。
  4. ^ 旅の効能12 田中みずき×星野佳路”. 星野リゾート. 2019年4月8日閲覧。
  5. ^ a b “銭湯富士新たな命 田中みずきさん 発信~異端であれ”. 日本経済新聞. (2018年1月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26240900X20C18A1000000/ 2019年4月8日閲覧。 
  6. ^ 日本で3人だけの「銭湯絵師」最年少銭湯絵師が地域と描く風景”. 70seeds (2017年10月3日). 2019年4月8日閲覧。
  7. ^ 銭湯絵師という仕事-田中みずき”. ニッポンドットコム. p. 2 (2017年2月24日). 2019年4月8日閲覧。