田中末広
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田中 末広(たなか すえひろ、生年不詳 - 天文22年8月2日(1553年9月9日))は戦国時代の武将。父:田中義元、子:田中義綱、田中義忠。通称は彦次郎、五郎右衛門。[1]
松平信忠・松平清康・松平広忠の三代に仕えた三河武士。天文4年(1535年)徳川家・松平家の菩提寺である大樹寺の塔修造の際、奉行としてこれを執り仕切った。天文22年(1553年)8月2日没。法名は道授。菅生村の満性寺に葬られ、以後、田中義忠の代まで満性寺を菩提寺とする。[1]
出典
[編集]- ^ a b 三上参次 編『寛政重修諸家譜 第1集』国民図書、1922年、421頁。 (国立国会図書館デジタルコレクション)