田中正俊
表示
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1922年11月14日 日本統治下台湾 台南州台南市 |
死没 |
2002年11月4日 (79歳没) 日本 |
出身校 | 東京大学 |
学問 | |
研究分野 | 東洋史 |
研究機関 | 東京大学 |
田中 正俊(たなか まさとし、1922年11月14日 - 2002年11月4日)は、中国史・東洋史学者。東京大学名誉教授。専門は中国近代史。
略歴
[編集]台湾・台南市生まれ。1940年東京府立第九中学校卒、1943年第一高等学校文科卒、10月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。
1943年12月学徒出陣で敦賀歩兵連隊に入営、1944年9月航空兵に転じ、シンガポール第三航空軍へ向け大阪港を出港するが、10月空襲のためフィリピン戦線のマニラに上陸、12月再度シンガポールへ向かうが敵襲にあい台湾高雄港に避難、1945年3月台湾の第八航空師団に転属、台北松山飛行場に勤務、敗戦を迎え1946年2月和歌山県田辺港に帰還。
戦後は復学し、1950年に東京大学を卒業、大学院に進む。1951年より東洋文庫兼任研究員。1954年大学院を退学し、横浜市立大学文理学部専任講師、1955年助教授を経て、1967年東京大学文学部東洋史学科助教授に就任、まもなく文部省長期在外研究員としてケンブリッジ大学へ出張、主に「ジャーディンマジソン商会[1]」関係資料の蒐集にあたった[2]。1973年東京大学教授に昇任、1983年定年退官し、名誉教授となる。その後信州大学人文学部教授に転任、1985年人文学部長をつとめる。1988年に退官後は、神田外語大学外国語学部教授に招聘され、1995年に退職した。
この間、1981年より東洋文庫理事・1987年より図書部長等を歴任[2][3]。史学会理事長も務めた[4]。
2002年11月4日未明、肺炎のため急逝、79歳没[5]。
家族・親族
[編集]- 祖父:熊沢善庵。
著書
[編集]単著
[編集]共編著
[編集]参考文献
[編集]- 『田中正俊歴史論集』附載の略年譜(略年譜: p.612-613 / 主要著作目録: p.614-626)NCID BA69544225
- 岸本美緒「追悼 田中正俊先生」『史学雑誌』第112巻第1号、史学会、2003年1月、112-114頁、doi:10.24471/shigaku.112.1_112。
- 鶴見尚弘 [9]「田中正俊先生を偲んで」『東洋学報』第84巻第4号、東洋文庫、2003年3月、528-534頁。
脚注・出典
[編集]- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『ジャーディン・マジソン商会』 - コトバンク
- ^ a b 鶴見尚弘 2003, p. 530.
- ^ 「昭和62年度[1987年度]」『財団法人東洋文庫年報』、東洋文庫、1989年3月25日、45-51頁。
- ^ 岸本美緒 2003, p. 112.
- ^ 鶴見尚弘 2003, p. 528.
- ^ 小池求「新刊紹介」『史学雑誌』2002年:doi:10.24471/shigaku.111.9_1549
- ^ 自身の経歴・学問形成について詳しく記載されている。三訂版を刊行すべく、最期まで推敲を重ねていた。(鶴見尚弘 2003, p. 528-529)(岸本美緒 2003, p. 112-113)
- ^ 内容説明 汲古書院.2024年2月26日閲覧。
- ^ 鶴見尚弘 - researchmap