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田中美真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
田中 美真
時代 江戸時代中期
生誕 享保11年(1726年
死没 天明4年12月11日1785年1月21日
改名 田中元之進[1]、茂右衛門[2]
戒名 化成院幡誉幢光美真居士
幕府 江戸幕府佐渡奉行所
氏族 甲斐源氏佐渡田中家
父母 田中千也、原田鶴子
石井いち
田中美矩
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田中 美真(たなか よしざね?)は江戸時代中期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家9代。

経歴

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寛保元年(1741年)部屋住みより御役所見習となり、5人扶持を受けた[3]寛延2年(1749年)父田中千也の跡を継ぎ、諸帳面手形改役となった[3]宝暦元年(1751年)目付役となり、宝暦2年(1752年)土地を拝領した[3]

明和元年(1764年)山方役となり、江戸上納金銀を宰領し、地方・銀山方勘定を仕上げ、6月江戸に勤務した[3]。明和8年(1771年)再び江戸に勤務し、安永元年(1772年)8月帰郷した[3]

安永7年(1778年)沢根御番所定番役[3]天明4年(1784年)12月11日59歳で死去した[4]。法名は化成院幡誉幢光美真居士[3]

遺稿

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親族

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子供は早逝者を含めて8人いた[3]

脚注

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  1. ^ a b c 佐藤 2003, pp. 14–15.
  2. ^ a b c 田中 1931, p. 4オ.
  3. ^ a b c d e f g h 佐藤 2003, pp. 18–19.
  4. ^ 田中 1931, p. 4ウ.
  5. ^ 資料目録 2003, p. 99.
  6. ^ 佐藤 2003, p. 3.
  7. ^ 田中 1931, p. 5ウ.
  8. ^ 田中 1931, p. 14ウ.

参考文献

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  • 「葵園先生年譜」『葵園遺稿』田中完三、1931年9月。 
  • 佐藤利夫「佐渡田中家の系譜」『地役人の系譜 田中葵園資料寄贈記念展報告書』相川郷土博物館、2003年3月。 
  • 「資料目録」『地役人の系譜 田中葵園資料寄贈記念展報告書』相川郷土博物館、2003年3月。