田中美真
表示
時代 | 江戸時代中期 |
---|---|
生誕 | 享保11年(1726年) |
死没 | 天明4年12月11日(1785年1月21日) |
改名 | 田中元之進[1]、茂右衛門[2] |
戒名 | 化成院幡誉幢光美真居士 |
幕府 | 江戸幕府佐渡奉行所 |
氏族 | 甲斐源氏佐渡田中家 |
父母 | 田中千也、原田鶴子 |
妻 | 石井いち |
子 | 田中美矩 |
田中 美真(たなか よしざね?)は江戸時代中期の佐渡奉行所地役人。佐渡田中家9代。
経歴
[編集]寛保元年(1741年)部屋住みより御役所見習となり、5人扶持を受けた[3]。寛延2年(1749年)父田中千也の跡を継ぎ、諸帳面手形改役となった[3]。宝暦元年(1751年)目付役となり、宝暦2年(1752年)土地を拝領した[3]。
明和元年(1764年)山方役となり、江戸上納金銀を宰領し、地方・銀山方勘定を仕上げ、6月江戸に勤務した[3]。明和8年(1771年)再び江戸に勤務し、安永元年(1772年)8月帰郷した[3]。
安永7年(1778年)沢根御番所定番役[3]。天明4年(1784年)12月11日59歳で死去した[4]。法名は化成院幡誉幢光美真居士[3]。
遺稿
[編集]親族
[編集]- 父:田中千也(元禄13年(1700年) - 寛延2年(1749年)5月11日)[1]
- 母:鶴子[2](買石原田孫兵衛娘[1]、元禄13年(1700年) - 天明3年(1783年)8月4日[2])
- 妻:いち(石井英純娘[6]、享保16年(1731年) - 寛政6年(1794年)11月3日[7])
- 子:田中美矩(宝暦4年(1754年) - 文化9年(1812年)3月6日[8])
子供は早逝者を含めて8人いた[3]。