田代重右衛門
表示
たしろ じゅうえもん 田代 重右衛門 | |
---|---|
生誕 |
田代松太郎 1854年1月30日 美濃国大野郡下座倉村 (現・岐阜県揖斐郡大野町) |
死没 | 1932年12月14日(78歳没) |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
職業 | 大日本紡績(現:ユニチカ)元社長 |
配偶者 | あり |
親 | 田代重兵衛(父) |
田代重右衛門(たしろ じゅうえもん、1854年1月30日(嘉永7年1月2日) - 1932年(昭和7年)12月14日)は、日本の実業家。幼名は松太郎。
生い立ち
[編集]嘉永7年(1854年)1月2日、美濃国大野郡下座倉村(現・岐阜県揖斐郡大野町)で、父重兵衛の子として生まれる。幼名は松太郎。生家は、綿花、藍、茶商を生業とし、屋号は棉屋と称した。寺子屋で学び、11歳のころには父に従い商売にでる。
1881年(明治14年)28歳で大阪で綿糸商を営むが、一旦郷里にひきあげる。1893年(明治26年)再度上阪し、尼崎紡績に入社、1894年(明治27年)には抜擢され副支配人、1901年(明治34年)取締役に就任した。1908年(明治41年)東洋紡織を合併し、綿布の製造を始める。のち東京紡績、日本紡績、摂津紡績を合併し、1918年(大正7年)大日本紡績(現・ユニチカ)と改称した。その後、日本絹毛紡績を合併、鹿児島紡績を買収する。1924年(大正13年)に相談役に就任。同時に日本貯蓄銀行相談役なども兼任した。
脚注
[編集]