田原坂
田原坂(たばるざか)は、熊本県熊本市北区植木町豊岡一帯の地名。
西南戦争の最大の激戦地として知られ[1]、国の史跡に指定されている。また同地に因んだ民謡の曲名にも使用されている。
概要
[編集]田原坂公園はツツジや桜の名所として知られる。園内には西南戦争時の激戦の跡を遺した資料館があり、往時の戦いを知ることができる。また近くに官軍墓地がある。民謡はこの戦いを歌ったもので日露戦争当時に士気高揚のため作られた。またこの場所は金峰山県立自然公園に指定されており、2013年3月には「西南戦争遺跡」の一部として国の史跡に指定された。
映画『ラスト サムライ』のクライマックスの峡谷は、田原坂・吉次峠の戦いがモデルになったと思われ、劇中の風景が田原坂に似ている。
民謡・俗謡
[編集]西南戦争を歌った民謡・俗謡として、「田原坂(豪傑節)」「豪傑節(新豪傑節)」がよく知られている。
両者は文句が共通で、節が異なる。大正期に熊本留吉がレコードの両面に吹き込んだのが最初で、当初は括弧内のタイトルを用いていた。タイトルの通り「田原坂(豪傑節)」が元唄で、「豪傑節(新豪傑節)」は元唄を三弦調にアレンジしたものである。その後、「田原坂(豪傑節)」は美ち奴、赤坂小梅等がレコード化し全国的に知られたが、一般に「豪傑節(新豪傑節)」の方がより流行し山村豊子、赤坂小梅、新橋喜代三など多くの歌手がレコード化している。戦後には「豪傑節(新豪傑節)」をモチーフに作られた「雨の田原坂」という歌謡曲も作られ、神楽坂はん子がレコード化してヒットした。また昭和40年代には、元は速いテンポで唄われていた「田原坂(豪傑節)」のテンポをやや落としてはずんだリズムにし、音頭風のアレンジを施した「田原坂」を赤坂小梅がレコード化し、盆踊りや市街地の流し踊り等で盛んに流され流行した。
「田原坂(豪傑節)」
- 雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ アラ田原坂
- 右手(めて)に血刀左手(ゆんで)に手綱、馬上豊かな アラ美少年
- 春は桜秋ならもみじ、夢も田原の アラ草枕
- 草を褥に夢やいずこ、肥薩の天地 アラ秋さびし
※留吉や美ち奴のレコードでは「アラ」を挿入して唄っているが、赤坂小梅の音頭調のアレンジでは「アラ」を省いて唄っている。
「豪傑節(新豪傑節)」
- 雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
※以下、歌詞は共通。
戦前には「隊長さん節」という俗謡も流行し、山村豊子、赤坂小梅らによってレコード化された。小梅は、隊長さん節に新豪傑節を接続して唄った音源も残しており、「豪傑節」のタイトルで発売している。
「隊長さん節」
- ハー西郷隆盛ゃ 話せる男 国のコラショイ 国のためなら死ねと云うた
(囃子)今度の戦争にゃどうでも行こたい 行かなきゃおいらの身が立たぬ アラショカショカネ どうしょか隊長さん
- ハー天下取るまで 大事な体 蚤にコラショイ 蚤に食わしてなるものか
(囃子)間ただ一発だね どうしょか隊長さん ショカショカドンドン
アクセス
[編集]- 田原坂駅(JR九州鹿児島本線)からタクシーで8分
- 熊本桜町バスターミナルから九州産交バス玉名駅行きに乗車し「鈴麦」下車、徒歩22分(1.8㎞)
- 九州自動車道植木インターチェンジから9㎞
脚注
[編集]- ^ 「西南戦争最大の激戦地、熊本・田原坂を巡る 西郷旅」『南日本新聞』南日本新聞社、2019年2月1日。
参考文献
[編集]- 橋本昌樹『田原坂 増補新版』中央公論新社〈中公文庫〉、2018年2月23日。ISBN 978-4122065437。
関連項目
[編集]- 植木町
- 田原坂駅
- 抜刀隊
- 田原坂 (テレビドラマ)
- 変調田原坂 - 南こうせつとかぐや姫の楽曲。民謡「田原坂」の替え歌。
- ラスト サムライ
- 金峰山県立自然公園
- メイショウタバル
- 高月官軍墓地
- 七本官軍墓地
- 明徳官軍墓地
外部リンク
[編集]- 熊本市田原坂西南戦争資料館
- 田原坂資料館 - ウェイバックマシン(2015年3月30日アーカイブ分)