田口秋魚
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田口秋魚(たぐち しゅうぎょ、1903年(明治36年)-1988年(昭和63年)1月24日)は、現在の秋田県仙北市角館町上新町生まれの画家。本名は田口徳蔵。
来歴
[編集]1926年(大正15年)荒川青亭に師事、1927年には上京して同郷の平福百穂の門に入り、1932年(昭和7年)には川端画学校に入学して日本画を学んだ。1933年10月30日の平福百穂の死に会した唯一の門人。百穂没後は吉田秋光に師事した。戦前在京中は童画を好み、三越百貨店で毎年ひらかれる童宝展に出品した。1937年(昭和12年)9月の日中戦争に応召したのち、満州・中国で約600枚の戦線スケッチをのこした。戦後は郷里角館に帰り、高等学校での美術指導や創作活動にたずさわった。1975年(昭和50年)より町立角館美術館(現・仙北市立平福記念角館美術館)の初代館長。天寧寺境内に筆塚がある。