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田名部運輸軌道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田名部運輸軌道
概要
現況 廃止
起終点 起点:田名部駅前(現在の赤川駅
終点:田名部柳町
駅数 3
運営
開業 1921年12月14日 (1921-12-14)
廃止 1941年3月18日 (1941-3-18)
所有者 田名部運輸軌道
路線諸元
路線総延長 4.02 km (2.50 mi)
軌間 762 mm (2 ft 6 in)
電化 全線非電化
テンプレートを表示
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
国鉄大湊線
田名部
0.0 田名部駅前
exBHF
3.5 田名部新町
exKBHFe
4.0 田名部柳町

田名部運輸軌道(たなぶうんゆきどう)は、かつて青森県下北郡田名部町(現在のむつ市)にあった国鉄大湊線の田名部駅(現在の赤川駅)から田名部町本町までを結んでいた馬車軌道である。鉄道のから離れた田名部町の中心部への交通手段であった。国鉄大畑線開業後、廃止となった。

路線データ

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  • 路線距離:田名部駅前(現・赤川) - 田名部柳町間4.02km
  • 軌間:762mm
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:なし(全線非電化
  • 動力:馬力

沿革

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大湊線が大湊まで延伸することが決まったが、田名部町は駅の設置について、町の中心地の本町に近い場所にする意見と、市街地から離れた場所にするという意見で対立していた。田名部町会議でも何回も討議されていたが、結局当時荒れ地で家一軒ない赤川に決まった[1]

町の中心からは離れていたので田名部駅まで馬車軌道を敷設することが決まり、田名部駅開業の4か月前の1921年(大正10年)5月19日に田名部町に田名部軌道株式会社(資本金5万円)が設立された[2]。そして同年12月に馬車軌道が開通した。1926年(大正15年)4月には田名部町の丸北下北、丸大河野、夕印田名部の三輸送店を合併し、田名部運輸軌道株式会社と改め資本金を11万6千円とした。

大畑線の開業により影響を受け営業を休止したが補償される[3]ことになり、1941年(昭和16年)3月に廃止となった[4]

年表

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  • 1921年(大正10年)
    • 5月19日 大湊線開業(9月25日)にさきがけて田名部軌道設立[5][6]
    • 8月20日 赤川 - 柳町間の軌道敷設の特許状を下付[7]
    • 12月14日 田名部駅前 - 田名部新町間が開業。
  • 1922年(大正11年)3月1日 田名部新町 - 田名部柳町間の開業許可。
  • 1926年(大正15年)4月1日 3つの運送店と合併し、社名を田名部運輸軌道とする。
  • 1940年(昭和15年)7月19日 休止許可[5]
  • 1941年(昭和16年)3月18日 田名部駅前 - 田名部柳町間廃止[8]

輸送・収支実績

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年度 人員(人) 貨物数量(噸) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) 雑収入(円) 雑支出(円) 支払利子(円)
1921(大正10)年 3,768 0 750 672 78
1922(大正11)年 42,000 5,400 18,616 14,874 3,742
1923(大正12)年 38,200 5,950 19,542 15,979 3,563 427、償却金500
1924(大正13)年 36,150 7,200 20,845 17,135 3,710 399
1925(大正14)年 30,573 5,703 16,600 13,007 3,593 607
1926(昭和元)年 39,284 5,980 19,348 17,750 1,598 3,667 雑損137、償却金2,414
1927(昭和2)年 44,410 8,325 17,957 16,254 1,703 2,070 雑損73、償却金1,683
1928(昭和3)年 47,473 9,348 19,038 17,615 1,423 運送業1,016
1929(昭和4)年 41,680 8,202 18,888 15,559 3,329 運送業3,772 償却金2,000 3,406
1930(昭和5)年 44,167 6,211 16,040 12,215 3,825 運送、償却、雑損1,842 1,728
1931(昭和6)年 39,398 6,570 24,882 22,651 2,231 自動車、家屋2,254 雑損1,145 2,994
1932(昭和7)年 35,543 7,137 26,602 18,069 8,533 借家300 自動車、償却金5,680 2,596
1933(昭和8)年 39,841 4,780 14,053 19,914 ▲ 5,861 運送業、土地家屋、自動車9,585 雑損、償却金1,438 2,286
1934(昭和9)年 39,952 6,288 16,694 19,543 ▲ 2,849 運送業9,291 雑損、償却金3,669 2,221
1935(昭和10)年 41,863 7,876 17,046 18,432 ▲ 1,386 運送、自動車7,943 雑損、償却金12,028 1,859
1936(昭和11)年 40,878 8,366 17,876 19,935 ▲ 2,059 運送、自動車8,629 雑損160、償却金1,441 1,882
1937(昭和12)年 47,758 8,395 19,325 23,898 ▲ 4,573 運送、自動車12,818 雑損317、償却金1,608 1,447
1939(昭和14)年 54,820 6,602 20,538 11,100 9,438 自動車8,856 雑損606、償却金9,685 1,331
  • 鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計より

脚注および参考文献

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  1. ^ 旧斗南藩士で渡米経験のある小池漸は駅を中心地に置くように強く町議会に申し入れていたが受けいられず、開通日に猟銃自殺したという。
  2. ^ 「株式会社設立」『官報』1921年10月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 「田名部運輸軌道株式会社所属鉄道ノ経営廃止ニ対スル補償ノ為公債発行ニ関スル件」『官報』1941年4月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 昭和13年には鉄道開通による廃止を予定していた『東奥年鑑.昭和13年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『銀行会社要録 : 附・役員録. 27版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「軌道特許状下付」『官報』1921年8月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 『ものがたり東北本線史』による。日付は和久田『私鉄史ハンドブック』による(同書正誤表 (PDF) で「廃止官掲」を単に「廃止」に訂正)。

関連項目

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