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田坂輝敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田坂 輝敬(たさか てるよし、1908年(明治41年)5月27日 - 1977年(昭和52年)1月18日)は新日本製鐵株式會社の第三代目の社長。

1976年(昭和51年)6月29日 新日本製鐵株式會社の第三代目社長に就任。

1977年(昭和52年)1月18日 膵臓癌にて逝去。

略歴

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  • 1908年(明治41年)5月27日 愛媛県越智郡今治町(現今治市)大字本町で生まれる。
  • 1915年(大正4年)4月 今治第二尋常小学校入学
  • 1921年(大正10年)3月 今治第二尋常小学校卒業
  • 1921年(大正10年)4月 愛媛県立今治中学校入学
  • 1926年(大正15年)3月 同校卒業
  • 1926年(大正15年)4月 松山高等学校入学
  • 1929年(昭和4年)3月 同校文科甲類卒業
  • 1929年(昭和4年)4月 東京帝国大学入学
  • 1933年(昭和8年)3月 東京帝国大学法学部法律家卒業
  • 1934年(昭和9年)7月 野村生命保険株式会社入社
  • 1938年(昭和13年)12月 野村生命保険株式会社退社
  • 1939年(昭和14年)2月 理化学興業株式会社入社
  • 1941年(昭和16年)7月 会社合併による理研工業株式会社に入社 同社庶務課長
  • 1942年(昭和17年)6月25日 同社退社
  • 1942年(昭和17年)7月7日 日本製鐵株式會社入社、本社総務局総務課勤務
  • 1950年(昭和25年)4月1日 企業再建整備法による第二会社富士製鐵株式會社へ引継ぎ 本社総務部長兼本社労働部長
  • 1957年(昭和32年)5月30日 同社取締役本社販売部長兼本社企画部長
  • 1960年(昭和35年)6月30日 同社常務取締役
  • 1962年(昭和37年)5月26日 同社代表取締役副社長
  • 1970年(昭和45年)八幡製鐵・富士製鐵合併後の新日本製鐵株式會社代表取締役副社長
  • 1976年(昭和51年)新日本製鐵株式會社代表取締役社長
  • 1977年(昭和52年)膵臓腫瘍のため逝去(享年68歳)

主な公職団体歴

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  • 日本鉄鋼連盟理事
  • 日本鉄鋼輸出組合理事
  • 経済同友会幹事
  • 経済団体連合会常任理事
  • 通商産業省貿易会議専門委員
  • 東京大学経済学部非常勤講師
  • 日本鋼構造協会理事
  • 日本ステンレス協会会長
  • 日本経営者団体連盟常任理事
  • 国際鉄鋼協会副会長

賞罰

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  • 1964年(昭和39年)10月28日 藍綬褒章受章
  • 1977年(昭和52年)1月31日 従三位勲一等瑞宝章(追贈)

その他

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参考文献

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  • 田坂輝敬回想録, 「田坂輝敬回想録」編集委員会, 新日本製鐵株式會社, 発行日:1978年(昭和53年)1月18日
  • 八幡製鐵所八十年史 資料編, 八幡製鐵所所史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社 八幡製鐵所, 発行日:1980年(昭和55年)11月18日
  • 炎とともに 富士製鐵株式會社史, 社史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社, 1981年(昭和56年)3月31日
  • 炎とともに 新日本製鐵株式會社十年史, 社史編さん委員会, 新日本製鐵株式會社, 発行日:1981年(昭和56年)3月31日
  • トップエコノミスト10人が抉る 経済界, 11巻, 2号, pp.46-49, 発行年:1976年
先代
平井富三郎
新日本製鐵社長
第3代: 1976-1977
次代
斎藤英四郎