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田村顕詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田村 顕詩(たむら あきのぶ、寛延元年(1748年[1] - ?)は、江戸時代後期の旗本一関藩主家分家の旗本田村家第5代当主で、『寛政重修諸家譜』編纂当時の当主である。は顕詩。通称は主税、主馬。養父は田村村房。実父は多羅尾光豊。実母は小堀克敬の娘。妻は松波隆起の娘。実子は田村顕孝。養子は田村顕承(兄・多羅尾光雄の子)。養女に多羅尾光豊の娘(安部信成の妻)、仙台藩鈴木次庸の娘(顕承の妻)。

生涯

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多羅尾光豊(四郎右衛門)の次男として生まれる。子がなかった田村村房の養子となって安永6年(1777年)に村房が死去すると、30歳で家督と家禄蔵米700俵を相続し、書院番士となる。

寛政重修諸家譜』が編纂された頃までには実子の顕孝(長熊)が早世しており、仙台藩主伊達周宗家臣の鈴木次庸(主税)の娘を養女に迎え、その婿養子として兄・多羅尾光雄の次男である顕承(津久雄(つくお))を養子に迎えた。

脚注

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  1. ^ 『寛政重修諸家譜』に記載される家督相続時の数え年からの逆算

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 第22』(続群書類従完成会、編集顧問、高柳光寿、岡山泰四、斎木一馬、1964年)