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田沼肇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田沼 肇(たぬま はじめ、1926年4月19日 - 2000年8月9日)は、日本社会学者社会運動家

群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部商業学科卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事[1]

1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。同年決定の取り消しを求めて提訴し再申請、手当は1995年に認められ支給されるようになる。1998年東京都に対し、在宅障害者の介護実態を重視した補助制度を求め、東京地裁に提訴。同年9月控訴[2]。1999年控訴棄却、上告申請をするが不受理[3]

妻は田沼祥子(1928年- )。

著書

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  • 『安保条約と日本の大衆運動』汐文社 解放新書 1968
  • 『原爆被爆者問題』新日本新書 1971
  • 『私のなかの平和と人権』草の根出版会 1995
  • 『田沼肇全活動』田沼肇全活動・著作集編集委員会 2011

編共著

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翻訳
  • 『現代の中間階級』編訳 大月書店 現代資本主義双書 1958

論文

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田沼祥子

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1928年鎌倉市生まれ。津田塾専門学校物理化学科卒業。1948年岩波書店入社。『育児の百科』、『岩波科学の本』などを企画編集。同年、田沼肇と結婚。1956年長男誕生。1987年以来13年間、田沼肇の在宅介護に取り組む。その後理科教育、科学読み物の仕事に協力[4]

著書

脚注

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  1. ^ 『私のなかの平和と人権』年譜
  2. ^ 20世紀日本人名事典
  3. ^ 松尾淳子「田沼裁判の意義」大原社会問題研究所
  4. ^ 『いのち抱きしめて』著者紹介