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田聖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

田 聖(でん せい、? - 168年)は、後漢桓帝の貴人(側室)。

生涯

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後宮に入り、采女(後漢の皇帝の側女)となった。延熹8年(165年)、桓帝は2人目の皇后鄧猛女を廃した後、田聖を新たな皇后に立てようとした。しかし太尉の陳蕃が、田聖の卑賤の出自を危惧して諌めた。結局、大将軍竇武の娘の竇妙が皇后に立てられた。しかし桓帝は竇皇后を無視し、田聖をはじめ数多くの妃嬪を寵愛した。皇后は悲しんだが、我慢を重ねた。

永康元年冬、病状が重篤となった桓帝は、田聖など9人の妃嬪を貴人に進封した。同年12月28日(168年1月25日)、桓帝は崩御した。皇太后に尊封された竇妙が、ただちに桓帝の梓宮(棺)の前で田聖を殺した。さらに、ほかの貴人たちも皆殺しにしようとしたが、中常侍の管覇と蘇康が諫めて思いとどまらせた。

参考文献

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