田辺希文
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年6月16日(1692年7月29日) |
死没 | 安永元年12月12日(1773年1月4日) |
別名 | 号:晋斎、翠渓 |
墓所 | 宮城県仙台市の大年寺 |
主君 | 伊達吉村 |
藩 | 仙台藩 |
氏族 | 上毛野氏流田辺氏 |
父母 | 父:田辺希賢 |
田辺 希文(たなべ まれふみ)は、江戸時代中期の仙台藩士。仙台藩の儒学者かつ歴史家、神道家。号は晋斎、翠渓。仙台藩士家上毛野氏族田辺氏2代当主。家格は召出二番座。
略歴
[編集]元禄5年(1692年)、京都から仙台に移った田辺希賢の子として仙台にて誕生。京都において山崎闇斎門人の浅井琳庵(重遠)に儒学を学ぶ。また神道を金須直定や高志真直、柏村左兵衛に、持明院流書流を持明院基時、基輔親子より学ぶ。この他、馬術、鳴弦術、弓術、兵法、砲術なども学ぶ。
享保9年(1724年)、家督を相続。5代藩主・伊達吉村の嗣子・宗村の師傅となって70貫目を賜る。
著作に「摭言録」、「翠渓文書」がある。また、「伊達世臣伝記」、「伊達世臣譜略記」、「封内風土記」の編纂にかかわる。墓所は大年寺。
参考文献
[編集]- 家臣人名事典編集会「三百藩家臣人名事典1」(新人物往来社、1987年)
- 「角川日本姓氏歴史人物大辞典4 宮城県姓氏家系大辞典」(1994年)