新田貞善
表示
(由良貞善から転送)
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年11月) |
新田 貞善(にった さだよし、嘉永6年1月13日(1853年2月20日) - 明治10年(1877年)3月9日)は、江戸時代の高家旗本・新田貞時の嫡男。童名は由良小太郎、のち新田小太郎。またの通称を新田雅楽亮。明治維新以前の旧名は由良 貞善(ゆら さだよし)。
江戸の由良家邸において誕生した。実弟乙次郎貞觀とは双生児である。
慶応4年(1868年)春、養祖父貞靖、父貞時と共に新田姓に復す。新政府には病身の父の代理として、若年ながら参内。明治6年(1873年)に父の跡式を相続した貞善は、父同様に新政府に対して、自らが新田義貞の嫡流であることを重ねて主張する。支流・横瀬貞篤と共に新田氏の顕彰に努めるも、一女を残して(のち早世する)明治10年(1877年)7月18日に25歳で死去した。
葬儀は神葬祭で執り行われ、「源阿曾美新田貞善命」(阿曾美は朝臣の意)、また「新田氏源朝臣貞善大人命」と諡号された。