由雄与三平
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由雄 与三平(よしお よそへい、1845年(弘化2年1月[1][2]) - 1910年(明治43年)1月4日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]加賀国河北郡津幡村(現・石川県河北郡津幡町)生まれ[1]。津幡村会議員、同議長、河北郡連合村会議長、津幡村外六ヶ村長、石川県会議員、勧業諮問会員となる[2]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において石川3区から弥生倶楽部所属で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では自由党から出馬して落選した[4]。1910年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。