甲府市藤村記念館
甲府市藤村記念館[1] | |
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正面外観 | |
情報 | |
旧名称 | 睦沢学校[1] |
用途 | 交流施設[2] |
旧用途 | 校舎[1]、公民館[2]、資料館[2] |
設計者 | 松木輝殷[1] |
施工 | 松木輝殷[1] |
構造形式 | 木造、中央部塔屋付、桟瓦葺[3] |
建築面積 | 189.2[3] m² |
階数 | 2階[3] |
着工 | 1875年3月[1] |
竣工 | 1875年12月[1] |
開館開所 | 1876年6月[1] |
所在地 | 山梨県甲府市北口2-2-1[1][3][2] |
座標 | 北緯35度40分4秒 東経138度34分12秒 / 北緯35.66778度 東経138.57000度[1])座標: 北緯35度40分4秒 東経138度34分12秒 / 北緯35.66778度 東経138.57000度[1]) |
文化財 | 国の重要文化財[1][3][2] |
指定・登録等日 | 1967年6月15日[3] |
甲府市藤村記念館(こうふしふじむらきねんかん)は、山梨県甲府市にある交流施設である。明治時代初期に建てられた旧睦沢学校校舎(きゅうむつざわがっこうこうしゃ)を移築し利用している。
概要
[編集]旧睦沢学校校舎は、1872年10月に創立された睦沢学校の新校舎として、睦沢村の亀沢に建てられた[1]。1874年12月より準備を始め、1875年3月に起工、12月に竣工する[1]。校地の整備は難工事だったため竣工後も続けられ、開校式を迎えたのは1876年6月だった[1]。土地は船形神社の敷地の払下げを受け、材は上知林の伐木にてまかない、地域の大工は総出、村民は一戸当たり一か月の労働奉仕を行ったという[1]。施工にあたっては下山大工の松木輝殷が招かれた[1]。当時の山梨県令だった藤村紫朗が推進していた「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築の代表作とされる[3]。
1957年まで校舎として使用されたのち、睦沢公民館として1961年まで使われた建物は、老朽化により取り壊される寸前のところ、藤村様式旧睦沢学校校舎保存委員会の手により1966年に武田神社境内に移築復元、藤村紫朗にちなんで藤村記念館と命名され甲府市に寄贈された。1969年に郷土資料館として開館し、1990年の教育資料館への展示替えを経て、再開発事業の一環として甲府駅前の北口広場に再移築され、2010年より交流ガイダンス施設として一般公開されている。[2]
建築
[編集]歴史的建造物としての「旧睦沢学校校舎」の概要は以下のとおりである。校舎の旧所在地は巨摩郡睦沢村(現山梨県甲斐市)で1875年12月の竣工。建築面積は189.2平方メートル。木造2階建、屋根は宝形造、桟瓦葺きとする。正面に玄関ポーチとベランダを設け、屋上に塔屋を設ける。平面規模は間口・奥行ともに13.6メートルである。外壁は漆喰塗の大壁(柱を塗り込めて外部に見せない)とし、軒周りには軒蛇腹を設ける。窓回りのアーチ形、建物四隅の隅石形、各面の腰壁は黒漆喰で形成する。ポーチおよびベランダ部分は天井を菱板透打ちとし、2階ベランダの各柱間には独特の曲線を描く幕板を飾る。内部は中央付近に階段を設け、1・2階とも階段手前の左右に2室、奥に大きい1室を配する。1967年に国の重要文化財に指定された。[4]
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「武田信虎公之銅像」(2019年5月2日撮影)
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西側外観(2017年8月17日撮影)
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入口回りの詳細(2017年8月17日撮影)
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入口回り上部詳細(2017年8月17日撮影)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 米山勇 2010, p. 246.
- ^ a b c d e f 甲府駅北口まちづくり委員会.
- ^ a b c d e f g 文化庁.
- ^ 『解説版新指定重要文化財 13 建造物III』、毎日新聞社、1982、p.146
参考文献
[編集]- 米山勇 (2010). 日本近代建築大全. 東日本篇. 講談社. ISBN 9784062160278
- 文化庁. “旧睦沢学校校舎”. 文化遺産オンライン. 2015年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月22日閲覧。
- 甲府駅北口まちづくり委員会. “甲府”. 2013年8月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月22日閲覧。
- 文化庁監修 (1982). 解説版新指定重要文化財. 13 建造物III. 毎日新聞社
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、甲府市藤村記念館に関するカテゴリがあります。