畠山修羅
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時代 | 室町時代後期 |
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生誕 | 応仁2年(1468年) |
死没 | 文明15年11月14日(1483年12月22日) |
別名 | 修羅法師(通称) |
氏族 | 畠山氏(総州家) |
父母 | 畠山義就 |
兄弟 | 修羅、義豊 |
畠山 修羅(はたけやま しゅら)は、室町時代後期の人物。畠山義就の長男で義豊(基家)の兄。通称は修羅法師、諱は不明。
生涯
[編集]義就は分家の能登守護家から政国を猶子に迎えていたが、修羅が生まれると政国を廃嫡した。文明2年(1470年)に古市胤栄に預けられて上洛したが、文明6年(1474年)に大和国の越智家栄の館に避難した。文明15年(1483年)に16歳で死去し、弟の基家が後継者となった。
子供がいたとされ、基家と跡目を巡って争ったとされるが、噂に過ぎないともされる。