発心城
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発心城 (福岡県) | |
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別名 | 発心岳城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 草野鎮永 |
築城年 | 天正6年(1578年) |
主な城主 | 草野鎮永 |
廃城年 | 天正15年(1587年) |
指定文化財 | 県指定史跡 |
位置 | 北緯33度17分56.2秒 東経130度38分54.4秒 / 北緯33.298944度 東経130.648444度 |
地図 |
発心城(ほっしんじょう)は、福岡県の久留米市から八女市、うきは市にかけてあった日本の城(山城)。福岡県指定史跡。
概要
[編集]耳納山地の標高697.5mの発心山の山頂を中心とし、総規模は東西・南北それぞれおよそ380m、200mにおよんだ。山頂の本丸は東西・南北にそれぞれおよそ20m、50mの規模で、北側に堀切を隔てて二の丸があった。本丸の西側には130m×20mの曲輪が、本丸から東の尾根上には出丸が配置されており、出丸の北には土塁と堀切が設けられた。北麓には大手道があり、虎口が形成されていたという。
天正6年(1578年)に大友氏が耳川の戦いで敗れたのを契機に、草野鎮永は大友氏の傘下から離れて龍造寺氏の下に入った。これに伴い、それまでの拠点だった竹井城に代えて当城を築いている。天正13年(1585年)には大友氏側の高良山衆徒らに攻撃され、また秋月氏にも攻められたもののいずれも撃退している。しかし、天正15年(1587年)の九州征伐の際に豊臣秀吉に鎮永が誘殺されると、当城は廃城となった。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(40.福岡県)』、角川書店、1988年
- 日本歴史地名大系 (オンライン版)