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登坂秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

登坂 秀(とさか しげる、1923年大正12年)7月15日[1] - )は、日本の政治家渋川市長を務めた。群馬県出身。

経歴

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東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科卒業後、1943年に農林省に入省。

1973年、渋川市収入役に就任。1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。1993年、渋川市長選挙に出馬し4回目の当選。1997年、渋川市長選挙に出馬し5回目の当選。連続5期20年間にわたって渋川市長を務めた。2000年、渋川市とイタリア共和国ウンブリア州フォリーニョ市との姉妹都市提携を実現した。2001年、木暮治一を事実上の後継として、政界を引退した。

2023年7月、100歳を迎えたため、現市長の高木勉の訪問を受けた[2]

上記のほかに、群馬県市長会長、群馬県市町村職員共済組合理事長、群馬県農業共済組合連合会長、渋川地区広域市町村圏振興整備組合理事長などの要職を歴任した。

人物

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「日本のまんなか緑の渋川」というフレーズを考案し、渋川市を「へその町」として売り出し、「渋川へそ祭り」の開催を推進した。また、渋川市への日本シャンソン館の誘致や渋川市美術館桑原巨守彫刻美術館の設立にも貢献した。さらに、埼玉県加須市及び本庄市との災害時相互応援協定を締結し、渋川市の安全安心都市の礎を築いた。

主な著書

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  • 『美の町 人を潤す』白日社、2002年
  • 『語り継ぐ回天 ああ回天総集編 誕生から戦後六十年の歩み』(共著)赤坂印刷、2005年

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、93頁。
  2. ^ 市長のフォトレポート(令和5年7月)”. www.city.shibukawa.lg.jp (2023年7月). 2023年7月17日閲覧。