白倉司馬太
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白倉 司馬太 | |
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生誕 |
1888年11月20日 日本 広島県 |
死没 | 1972年8月14日(83歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1943年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
白倉 司馬太(しろくら しばた、1888年(明治21年)11月20日[1] - 1972年(昭和47年)8月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1888年(明治21年)に広島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期[1]、東京帝国大学機械工学科卒業[2]。1934年(昭和9年)3月に関東軍野戦兵器廠長に就任し[2]、8月に陸軍砲兵大佐に進級した[2]。1936年(昭和11年)に陸軍兵器廠附を経て[2]、1937年(昭和12年)に第1野戦化学実験部長に就任した[2]。
1938年(昭和13年)3月に陸軍少将に進級し[2]、陸軍砲工学校砲兵科長に就任[1]。7月には陸軍造兵廠小倉工廠長に転じ[1]、1940年(昭和15年)4月に名古屋陸軍造兵廠長となり[1]、12月に陸軍中将に進級[2]。1943年(昭和18年)6月10日に待命[1]、6月30日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。