白善鎮
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白善鎮 | |
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生誕 |
1921年2月14日 日本統治下朝鮮平安南道平壌府 |
死没 |
2010年8月22日(89歳没) 大韓民国京畿道城南市 |
所属組織 | 大韓民国陸軍 |
軍歴 | 少将 |
墓所 | 国立大田顕忠院将軍第2墓域134号 |
白善鎮 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 백선진 |
漢字: | 白善鎭 |
発音: | ペク・ソンジン |
日本語読み: | はく ぜんちん |
ローマ字: | Paik Sun-chin |
白 善鎮(ペク・ソンジン、백선진)は大韓民国の軍人、企業家。朝鮮戦争では韓国軍の軍需支援を担当した。
経歴
[編集]1922年、平安南道平壌府に生まれる。本貫は水原白氏[1]。
1939年、平壌師範学校を卒業。同期には白善燁がいた。卒業後、約6か月教職に就いた後、第三高等学校受験のために渡日して同志社大学予科在籍。病気で帰郷したため学徒出陣を免れる。
1945年12月、共産主義体制を避けて越南。英語能力を買われて軍事英語学校を卒業(軍番63番)。
1948年12月、初代兵站監。
1950年1月、兵站学校校長。7月、陸軍本部軍需局補給課長。
1951年、陸軍本部軍需局次長。
1952年、陸軍本部軍需局長。
1953年6月、アメリカ陸軍指揮幕僚大学留学。
1954年7月、陸軍本部兵站監。
1956年7月、国防部管理局長。
1958年、国防部次官補、任少将。
1960年6月、陸軍本部管理参謀部長。陸軍本部軍需参謀部長。
1961年5月、財務部長官。7月、予備役編入。
1969年、韓国総合技術開発公社社長。
1975年、韓国海外建設公社社長。
1979年、三湖住宅社長。
勲章
[編集]- 乙支武功勲章
- 忠武武功勲章
- 銅塔産業勲章
- レジオン・オブ・メリット - 1957年8月28日[2]
出典
[編集]- ^ “(25)수원 백씨(水原白氏)-316,535명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年8月7日). 2022年8月16日閲覧。
- ^ “Paik Sun Chin”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。
参考文献
[編集]公職 | ||
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先代 金永善 |
大韓民国財務部長官 第12代:1961 |
次代 金裕澤 |