白山瀬
白山瀬(はくさんせ)は、能登半島沖の日本海にある中深度海域の海底地形名。
概要
[編集]石川県の能登半島の北方約110kmにある海域で、水深250m - 500mほどの平坦な高まりが北西から南東方向に広がっている。少なくとも中新世中期から鮮新世後期までは島(古白山島)であったとされる[1]。水産資源に恵まれた良好な漁場となっている[2]。
地形
[編集]能登半島沖の海底は舳倉島(石川県輪島市)付近まで水深130m - 140mの大陸棚が広がっている。この大陸棚の幅は能登半島の海岸線から北に約43km、北西に約59km、西側に約15kmに及ぶ。大陸棚の北側の外縁から先はいったん水深約850mまで緩やかに下降した後再び上昇して白山瀬に到達する。
白山瀬は最小水深250mと265mの二つの堆からなる。いずれの堆頂面も平坦であるが、北西側にある最小水深250mの堆は西方に、南東側にある最小水深265mの堆は東方に傾動している。これら二つの堆は北西から南東方向の断層で分けられ、堆の間は水深500mほどの地溝を形成している。これら二つの堆のほかにも、やや水深の深い複数の堆が概ね北西から南東方向の断層に沿って連なっており、これらは総称して白山堆群と呼ばれている。白山瀬の北側と西側の海底は大和海盆に、東側は富山トラフに落ち込んでいる[1]。
新第三紀中新世中期には能登半島はもっと北に延び(古能登半島)、その先端に古白山島が北西から南東方向に横たわっていたとされる。中新世後期までに大きな地殻変動があり、古白山島は隆起し面積を増す一方、古能登半島は沈降した[1]。現在の日本海の海底地形が形成された鮮新世後期の地殻変動[3]で、現在の大陸棚付近が隆起し陸化する一方、古白山島は沈降し古白山諸島となった。白山瀬の堆頂の平坦面はこの時代に形成されたと考えられている。その後第四紀更新世に入って古白山諸島や現在の大陸棚付近が沈降するとともに、舳倉島や七ツ島が隆起し、現在の地形が形成された[1]。
その他
[編集]- 白山瀬の呼称は、これを発見した船の名である白山丸に由来する[6]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 田口広、永野真男、佐藤任弘、桜井操、内田摩利夫『日本海白山瀬付近の構造発達史』1973年4月15日「地質学雑誌」
- ^ a b 「能登地域半島振興計画」平成17年12月21日石川県・富山県 (PDF)
- ^ 「日本列島周辺の海底 その4 日本海」一般財団法人日本水路協会
- ^ 「舳倉島(へぐらじま)石川県・輪島市」社団法人全国漁港漁場協会 (PDF)
- ^ 「平成16年ベニズワイガニ日本海系群の資源評価」独立行政法人水産総合研究センター (PDF)
- ^ 「日本周辺海域等の海底地形の名称 海底地形名リスト」海上保安庁海洋情報部 なお、この資料では『富山水試「白山丸」』と記されているが、富山県水産試験場(現・農林水産総合技術センター)の調査船は「はやつき」「立山丸」であり[1]、石川県水産試験場(現・水産総合センター)の漁業指導船に「白山丸」がある[2]ことから、『石川水試「白山丸」』の誤りと思われる。