白濱顕貴
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シラハマ・ケンキ | |
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白濱顕貴 | |
国籍 | 日本 |
職業 | 海賊 |
活動期間 | 16世紀末から17世紀初頭 |
著名な実績 | 南ベトナム王国広南国が接触した最初の日本人の一人 |
海賊活動 | |
活動地域 | ベトナム |
白濱 顕貴(しらはま けんき[1]、ベトナム語: Bạch Tân Hiển Quý[2])は、16世紀末から17世紀初頭にかけての倭寇である。広南国が接触した最初の日本人の一人。
白濱は1585年に船5隻でベトナム沿岸に初めて到着し、海賊行為と沿岸地域の襲撃を開始した。最終的には、広南国の侯の六男が率いる少なくとも10隻の艦隊によって追い払われた。海賊船2隻が破壊されると、白濱は逃亡した。当時出会ったベトナム人に西洋人と間違えられたと言われている[3]。
14年後の1599年に、白濱の船はトゥアンアン港の近くで難破した。地元の治安当局者は、白濱を海賊あるいは盗賊であると正しく考えて白濱を攻撃したが、白濱に殺された。その後、白濱は投獄され、阮潢が日本の新将軍徳川家康あてに、日本人船員について今後の対処法を尋ねる書簡を送った。これが両政府間の最初の公式の接触であり、数十年続く友好関係の始まりとなった[3]。
脚注
[編集]- ^ Kondō, Jūzō (ed.)(c. 1808–1819). 『外蕃通書』 (Gaiban Tsūsho, "Communications from Foreign Lands"). Chapter 11, p97. As reprinted in Kondō, Heijō (ed.) 『史籍集覧』 (Shiseki shūran, "Collection of Historical Works"). vol. 21. Tokyo: Sumiya shobō, 1968. p287.
- ^ Thương mại Việt Nam – Nhật Bản thế kỷ XVI–XVII Archived 2007-09-29 at the Wayback Machine., Accessed 12 June 2007.
- ^ a b Li, Tana. Nguyen Cochinchina: Southern Vietnam in the Seventeenth and Eighteenth Centuries. Ithaca: Cornell University Press, 1998. pp60–61.