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白石晴久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

白石 晴久(しらいし はるひさ、1950年昭和25年)9月28日[1] - )は日本の経営者。みずほ銀行常務取締役、同理事富士ソフト代表取締役社長を務め、2012年6月にシチズンホールディングス常勤監査役に就任した。

1950年昭和25年)、東京都に生まれる[2]1974年(昭和49年)、東京大学工学部計数工学科の学士号を得て卒業[3]、同年に第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行した[1]。入行6年目の1979年(昭和54年)、アメリカハーバード大学経営大学院へ留学し[3]1981年(昭和56年)に経営学修士(MBA)を取得した[1]。第一勧業銀行においてコンピュータサイエンスマクロ経済調査を経験したのち、人事制度の構築、CITグループの買収、J.P.モルガンとの投信合弁会社設立に参画した。また、第8次および第9次経営計画の策定を行っている[2]2005年平成17年)4月、みずほ銀行常務取締役に就任した[3]2008年(平成20年)6月、富士ソフト野澤宏会長の要請を受け、同代表取締役社長となった[1]2011年(平成23年)9月、同社を退社して 翌10月からみずほ銀行に戻り理事となっている[3]2012年(平成24年)6月 同行を退任し、同月からシチズンホールディングス常勤監査役を務めている[3]。証券アナリスト検定会員[2]。ビジネスプロセス革新協議会(現ビジネスプラットホーム革新協議会)(BPIA)常務理事[4]

略歴

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  • 1950年(昭和25年) 東京都に生まれる。
  • 1969年(昭和44年) 東京都立小石川高等学校を卒業[3]
  • 1970年(昭和45年) 東京大学工学部計数工学科に入学[3]
  • 1974年(昭和49年) 同学士を取得し卒業後、第一勧業銀行へ入行する。
  • 1979年(昭和54年) ハーバード大学経営大学院へ留学する。
  • 1981年(昭和56年) 同大学院経営学修士(MBA)を取得する。
  • 1985年(昭和60年) 第一勧業銀行人事企画部主任調査役[1][2]
  • 1990年(平成2年) 同行経営企画室長[1][2]
  • 1996年(平成8年) 同行吉祥寺支店長[1]
  • 1997年(平成9年) 同行業務開発部長[1]
  • 2000年(平成12年)8月 同行審議役。同年9月 同行人事室付みずほホールディングス個人企画部長[5]
  • 2002年(平成14年)4月 みずほ銀行個人企画部長[5]
  • 2004年(平成16年)4月 同行執行役員システム統合プロジェクト統括PT長[5]
  • 2005年(平成17年)4月 同行常務取締役 最高情報責任者(CIO)[1][5]
  • 2008年(平成20年)6月 富士ソフト代表取締役社長[1]
  • 2011年(平成23年)10月 みずほ銀行理事[3]
  • 2012年(平成24年)6月 シチズンホールディングス常勤監査役[3]

著作

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企業価値算出のためのディスカウントキャッシュフロー : 基礎知識&事例研究(2003年、地域金融研究所)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 富士ソフト 社長 白石晴久”. BCN Bizline (2008年9月1日). 2014年2月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e 白石晴久『企業価値算出のためのディスカウントキャッシュフロー : 基礎知識&事例研究』地域金融研究所、6。ISBN 4924781010 
  3. ^ a b c d e f g h i 白石晴久”. linkedin. 2014年2月12日閲覧。
  4. ^ 2009年度BPIA総会 / 講演会”. ビジネスプロセス革新協議会 (2009年11月13日). 2014年2月12日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ a b c d 2005年3月期 有価証券報告書の訂正報告書(2005年7月8日提出分)” (PDF). みずほフィナンシャルグループ. p. 7 (2005年7月12日). 2014年2月12日閲覧。

外部リンク

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先代
野澤宏
富士ソフト社長
2008年 - 2011年
次代
坂下智保