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岩木山百沢土石流災害

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
百沢土石流災害から転送)

岩木山百沢土石流災害(いわきさんひゃくざわどせきりゅうさいがい)は、1975年昭和50年)8月6日未明に、当時の青森県中津軽郡岩木町(後の弘前市百沢集落で発生した大規模な土砂災害[1]岩木山南麓の蔵助沢で発生した土石流が集落を襲い、死者22名、重軽傷者31名、家屋の全壊17戸、半壊9戸の被害が出た[2]

この災害は、「青森県水災害史上最大のものといえる」とされている[3]

土石流

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「昭和50年8月5日から7日にかけての東北地方の大雨」により[1]、岩木山南麓で、標高1200m以上に源を発する6渓流(後長根川、蔵助沢、毒蛇沢、滝の沢、平沢、柴柄沢) に土石流が発生した[4]

このうち蔵助沢では、8月6日午前3時前後に土石流が発生した[5]。まず、標高1460m地点の崖錐で山腹崩壊が発生し、およそ460m3の土砂が流出した[4]。土石流は途中の3基の砂防施設を一部破壊し[1]、流路の堆積物を洗掘しながら流下し、30,000m3以上の土砂が、百沢集落に達した[6]。移動した土砂の総量はおよそ50,000m3となった[6]

訴訟

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災害後、被害者遺族たちは、「災害は防災対策を怠った行政の責任」だとして、国、青森県、岩木町に損害賠償を求める裁判を起こしたが、提訴から10年余りを経た1989年5月25日青森地方裁判所弘前支部は、国の予見可能性を認めず、原告全面敗訴の判決を下した[7]。一部の遺族は控訴したが、1995年7月7日仙台高等裁判所秋田支部は一審同様、原告の訴えを棄却した[8]

示現堂

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被災から2年後の1977年8月6日、犠牲者を供養する施設として「示現堂」が建立され、犠牲者の写真や土石流についての説明展示が公開された[5]

脚注

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  1. ^ a b c 道淵, 1976, p.26.
  2. ^ 寺島・東浦, 1975, p.1.
  3. ^ 寺島・東浦, 1975, p.3.
  4. ^ a b 道淵, 1976, p.30.
  5. ^ a b 宮澤, 2006, p,55,
  6. ^ a b 道淵, 1976, p.31.
  7. ^ “22人死亡の岩木山土石流災害訴訟 遺族側が全面敗訴 青森地裁弘前支部”. 読売新聞・東京夕刊: p. 14. (1989年5月25日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧
  8. ^ “岩木山土石流訴訟 二審も原告側敗訴/仙台高裁秋田支部”. 読売新聞・東京夕刊: p. 22. (1996年7月7日)  - ヨミダス歴史館にて閲覧

参考文献

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  • 寺島治男東浦将夫 (1975): 青森県岩木町百沢地区に発生した土石流災害, 主要災害調査, 8, 1-20. PDF
  • 道淵梯之助 (1976): 岩木山蔵助沢土石流の概要, 砂防学会誌 29 (2), 26-34. CRID 1390001204066856320
  • 宮澤清治 (2006): 防災歳時記(45) ―深夜の土石流、集落を襲う―, 消防防災の科学 85, 54-55. PDF

外部リンク

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座標: 北緯40度37分10.6秒 東経140度20分40.9秒 / 北緯40.619611度 東経140.344694度 / 40.619611; 140.344694